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タカシの外資系物語

世界史から得られるダイバーシティの要諦とは?!(その2)2018.01.16

旧制高校における教育と現代の違いとは?!


(前回の続き)グローバル時代である現代を生きるわれわれにとって、必須の教養といえる “世界史”。受験科目に選ばなかったことが原因で、世界史の知識が著しく劣るタカシ。その遅れを挽回せんがため、まさに五十の手習いとばかりに世界史の勉強を始めたところ、そこにダイバーシティの本質を見ることになるのでした・・・


ここ数年、‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ という言葉が流行っています。「現代人は ‘教養’ がない」・・・という表現の裏側には、「昔の人には ‘教養’ があった」、という行間の意図が込められています。


本当に「昔の人には ‘教養’ があった」のか? を明らかにするために、まず、教養があったとされる “昔の人” とは、どの程度昔の人なのか、という定義をしてみましょう。仮に、“昔の人” を “バブル崩壊前(1990年代前半)に高等教育を終えた人”(=私 なんですけれども・・・)、とした場合、どうでしょうか? ご覧の通り、教養などないのです・・・(自虐的)。だから、必要に迫られて、焦って世界史の勉強とかしている始末。


では、“昔の人” を、思い切って、旧制高校とかで勉強した世代まで巻き戻してみるとどうでしょうか。この世代の人が受けた高等教育は、現代でいうところの ‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ に近いと言われています。よって、この時代に高等教育を受けた人は、現代において教頭教育を受けた人よりも優秀である、という議論が、よくなされます。果たして、本当にそうか?

まず、旧制高校時代の教育カリキュラムには、現代でいうところの ‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ が必修科目として組み込まれていました。また、大学受験においても、文系・理系問わず、これらの科目が受験科目として設定されていました。文系にも数学は必須だったし、理系にも国語・社会が必須だったわけです。つまり、この当時の学生は、必要に迫られて、現代でいうところの ‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ について、必要に迫られて勉強せざるをえない状況だったわけです。

現代人の教養レベルは劣っているのか?!


一方、戦後、特に高度成長期以降の教育カリキュラムは、受験のために合理化されたプログラムとなり、基本的には、文系は文系科目、理系は理系科目をやればいい制度になってしまいました。加えて、文系であっても、歴史は日本史だけでいい、などといった暴挙がまかり通ってしまった。事実、文系の入試科目で、日本史・世界史両方といった、社会科2科目を課しているのは、東京大学の2次試験ぐらいでしょう。東大レベルまでいかないにしても、多くの学生が受験するセンター試験ですら、科目の絞り込みが相当行われている。私が受験した当時のセンター試験は、共通一次と言っていましたが、科目数は、5教科7科目ありました。それがいまや、国公立であっても、3科目受験OKとかを許している。ますます、‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ の幅が狭められる教育体系になっているのは確かなんですよね・・・。


しかし、私は上記の事象をもって、現代人の知識レベルが落ちたとは、決して思わないのです。なぜか? それは、現代人は、過去にはなかった “教養” を、追加で学ばなければならないからです。例えば、IT関連のリテラシーなどは、現代人にとっては必須ですが、ほんの20年前には存在しなかった分野です。英語にしても、リスニングやスピーキングが必要になってきていますよね。学ぶことがどんどん増えてきているのです。

つまり、必須科目というのは、そのときどきの社会情勢によって、大きく変化するものなのです。旧制高校時代の一般教養科目が優れていて、現代のITリテラシーが不要、というもんでもない。おそらく、必須科目には2種類あって、ベースとなる教養(ストック)とUPDATEしていくべき教養(フロー)が存在するのです。現代でいうところの ‘教養’ ‘リベラル・アーツ’ は、前者に該当します。


重要なことは、まずは、行政による適切な教育カリキュラムの策定です。フローの教養を重視しすぎると、ストックが不足します。これがまさに、現代人の状況でしょう。いかにそのバランスを保っていくか?

 

個人も行動しなければなりません。自分に足りない教養は、ストックか、フローか。それを自覚して、獲得していく姿勢がなければ、国際化時代における生き残りは難しいのではないか、というのが私の主張です。

避けたい話題こそ、学ぶべき!


本題に戻しましょう。私はストックの知識のうち、世界史が不足しています。よって、齢50にして、勉強に着手し始めたところ・・・。

 

どの分野が弱いのか? これまでの経験則 ≒ クライアントや同僚と話をしていて、内容がわからず困った分野には、三国志の話やヨーロッパ王朝の話などいろいろとあるのですが、自分の興味(自分が知りたい!と思える分野か?)と実益(仕事や人間の幅を広げる上で役に立つか?)という観点から考慮すると、以下の3分野を強化する必要があると考えています。

(1)ナチスドイツおよびホロコースト(アウシュビッツ、ポーランドのゲットー)

(2)アメリカを中心とした黒人差別問題

(3)宗教

 

実際に、上記3つに自信がないと、外国人と話をするのに支障があるのです。というか、これまでに、そういう経験を数多くしてきました。


「上記の3つって・・・、日本人には理解できない問題だから、話題として避けるべきでは?」という意見もあるでしょう。私だって、積極的に論戦をしかけるつもりなどありません。しかし、touchyな問題だから触れない、よって理解しなくてもいい、というのは、ちょっと違う。まずは自分なりに理解する、その上で、話題として避けるべきか否か、を積極的に判断する、ということが重要なのではないでしょうか。


ということで、次回のコラムでは、上記3つを勉強していく中で、私が学んだ 多様性 = ダイバーシティ についてお話ししたいと思います(今回のコラム、ほとんど進捗しなかったですね、すみません・・・。次回にご期待ください!)

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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