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タカシの外資系物語

告白! “タカシ復活” までの 道程 (その7)2013.11.12

    メールを見て “浦島太郎” を痛感する?!

    (前回の続き) うつ病発症 → 入院 → 休職 → 過酷な闘病生活 → 愛犬ゴルゴの死 → 劇的な回復・・・ を経て、職場復帰が視野に入ってきたタカシ。ゴルゴの死によるショックとそれに続く虚無感(いわゆる、ペットロス)を引きずりつつ、具体的な復帰への準備を始めることにしました。


    まず、最初に着手したのは、「Eメールの確認」 です。休職前、私のメールボックスには、毎日約200通のメールが届いていました(仕事のメールは半分程度、残りはいわゆるjunk mailの類ですが)。これを8月末まで5ヶ月間(=150日)放置したわけですから、単純計算で 30,000通(!)のメールが未読のままで残っていることになります。


    1日の仕事において、メールを処理するのに、約1時間はかけていたと思いますので、まともにやったら150時間かかります・・・。 って、そんなことしてたら、再発するわーーーっ ということで、バッサリと “全削除” することにしました。


    「よく、そんな思い切ったことができたな・・・」 えっ? いや、最初は、倒れた当日から1つずつ開いては閉じ、時系列に何が起こっていたのか確認してたんですよ。でも、後ろで見ていた奥さんが一言。 


    「まさか、メール全部見ようと思ってるんじゃないでしょうねぇ?」  
    「えっっ?(汗)」 ・・・  
    という建設的なやりとりを経て、chickenな私が “全削除” という暴挙に踏み切ったわけです。


    ただし、一通りは、差出人とタイトルは確認したんですよ(それだけで、2~3時間ぐらいかかりましたが・・・)。私の病状を心配して、個人的にメールをくれている人に失礼があっては困りますので。


    「タカシさん、大丈夫ですか? 心配しています」 「仕事のことはわれわれに任せて、のんびりと治療に専念してくださいね!」 といった、泣けるメールに混じって、「長い間、お世話になりました」「お世話になったみなさまに」 というタイトルで、退職の連絡をするメール(いわゆる “farewell mail” )も複数届いていました。中には、私が採用して、手取り足取り教え、今や一人前のマネージャーとして他部門で活躍していた仲間も含まれていました。


    私が所属する組織自体も、月ごとに構成を変え、休職する前と比べると、大幅な変革を遂げていました。


    「仲の良かったメンバーも、めっきり減ったなぁ・・・ それよりも、私の居場所は・・・どこ?」 


    それまで考えないようにしていたのですが、やはり、外資における半年のブランクというのは、致命的 とまでは言わないまでも、相当なハンディを負うことになるのは間違いないと思います。

    原因は “一人相撲” ?!

    そもそも、私はどうして、“うつ” になってしまったのか? その理由は非常に複雑に絡み合っておりまして、一言で説明できるような代物ではありません。ただ、敢えて一言で表現するなら、「スキルと役割がマッチしない状態で、周囲の援護を得ようとせず、一人で解決しようとしたから」 となります。 

    コラムではあまり詳しく話してなかったのですが、昨年の7月付で、私はコンサル職から、あるクライアントの営業責任者として、職種変更していました。対象のクライアントは、メガバンク。部下の人数も、数十名だったものが、数百名へと10倍以上に膨れ上がりました。


    正直言って、かなりの大抜擢人事でして、一部の日本人役員からは、「彼(=私)には、ちょっと重過ぎるんじゃないのか?」とのネガティブな意見が出たそうですが、専務(外国人) と 常務(日本人) が、強力にプッシュしてくれたようで、私の職種変更は、そのときの “目玉人事” として注目されていました。 「この役割で成果を上げれば、さらに上(Vice President)が見えてくるぞ!」 日々、ハッパをかけられていたのです。


    しかし、私のキャリアは、ヘナチョコ銀行員 → なんちゃってコンサル でしかありません。数十億円単位のジリジリするような契約交渉、大規模プロジェクトでトラブルが発生した際のお詫びと対処、US本社役員への営業実績報告、キーマンである部下の退職・・・ 複合的に課題を抱えた際に、それを自分ひとりの力で解決しようとしたんですね、私は・・・。チームに頼れば良かったものを・・・ 


    もちろん、コンサルだってチームプレイが基本です。でも、最後は 「個の力」「個人の打開力」 がモノを言う世界であるのも確かです。


    一方、営業席責任者というのは、「個の力」とともに、社内外に有力なコネやリレーションを持っていて、他人の力をうまく使って、課題に対応します。その差にを埋めきれないまま、一人相撲をとってしまった・・・ というのが、敗因だと思っています。


    私の上司であるY常務(日本人)は、発症当初から、「復帰したら、コンサルに戻す」 と明言してくれました。それはそれでありがたかった反面、取り返しのつかない ×(罰点) がついたのも事実で、それ以上に、私を推してくれた上司である専務とY常務に申し訳が立たなくて、そのことが病気を長期化させる一因にもなったように思います。上司を含め、同僚・部下にも迷惑をかけました。クライアントにもご迷惑をおかけしました。今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。

    タカシは外国人に 切られた のか?!

    休職して気付いたことなんですが、休職者への対応が、日本人と外国人とでは、大きく異なります。休職前は、それこそ毎日のように、メールや直接連絡をくれていた外国人上司や同僚が、休職した途端に、全く連絡をくれなくなりました。一方、日本人の上司や同僚は、定期的に連絡をくれたり、励ましたりしてくれました。


    「ほらな・・・ 外資系企業になんか勤めるから、病気になった途端、外国人に切られちゃうんだよ。やっぱり日本人同士、情が通じ合わなくちゃ、やってらんねぇや、べらんめぇ!(って、江戸っ子調にする必要は全くないが)」


    私も最初はそう思いました。外国人の上司や同僚って、冷たいもんだな・・って。でもそれは違うのです。外国人の上司や同僚は、わざと 私と接点を持たないようにしていたのです。なぜか? 外資系企業(というか、日本以外の企業)というのは、役割分担が極めて明確です。言い換えれば、もちは餅屋、プロに任せるという発想が強いのです。病気、特に、メンタル系疾患だとわかった瞬間から、その対処を産業医などの医師に任せてしまう。素人である自分がしゃしゃり出て、容態が悪化してはいけない、一言 「頑張れ!」 と言いたいが、それすら我慢しよう・・・ という考え方。つまり、私のことが心配で、早く復帰してほしいからこそ、何もしないのです。


    一方、日本人の発想は、直接会って、話して、元気付けたい・・・ というのが主流です。それは涙が出るほど嬉しいし、不安な気持ちを鎮める意味でも、上司や仲間に会いたいという気持ちは非常に強かったのも確かです。しかし、ときに、「早く復帰して、また一緒にバリバリやりましょう!」「タカシさんは不死身だから、来週には出社してたりして?!」 といった励ましが、激しいプレッシャーと感じることも、しばしばありました。復職後も、日本人の上司や同僚は、言葉遣いひとつとっても、すごく気にしてくれているのですが、その状況がかえって、息苦しくしているという面もある。そう考えると、外国人のように、病気の人とは接触しない、ひとたび治ったら、以前と同様に接する。相手の病気のことは、一切口にしない・・・ というのも、アリなのかな、と思います。


    8月の中旬、ちょうど、ゴルゴが亡くなって数日後に、上司と産業医との面談をし、10月1日付で復職することを決めました。会社の規定では、復職前に、3~4週間の “お試し期間(試験勤務)” というのがありまして、勤務時間を若干短縮して勤務し、通勤等、大きな問題がないことを確認することになっています。私は、9月2日から、お試し期間(9時出勤・15時帰宅)を開始することにしました。


    復職にあたり、人事上必要となる処理を確認するために、普段眺めることのない、人事規定の関連部分を熟読したのですが、そこに、以下のようなくだりがありました。


    「○○条△△項  休職者が復職するにあたり、復職日は、上司・産業医同席のもと、これを決定する。また、復職日の直前3~4週間を 試験勤務 として設定し、復職に際する問題がないことを確認する機会を設けること。なお・・・」


    ん? 

    「・・・なお、試験勤務期間中の交通費は、実費負担とする」 

    うそーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!(T-T) こういうもんなんすか、これって? いやいや、誤解しないでほしいんですが、交通費が惜しいんじゃないんですよ。なんか・・・ 悲しくないっすか、これ???(T-T)(T-T)


    ・・・ごめんなさい、あと1回だけ続けます。次週、復帰記念スペシャル企画の最終回、お楽しみに!

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    この記事の筆者

    奈良タカシ

    1968年7月 奈良県生まれ。

    大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

    みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
    出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
    結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

    書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
    奈良タカシ

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