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タカシの外資系物語

最後に生き残る者は ? ( その 2 )2009.01.13

主要部門を特定大学出身者が占める理由

前回の続き)       

・ ヒサト  東大・工  営業部門  2002年 (外資コンサルへの転職年)
・ ヒトシ  一橋・経  マーケット部門  2002年
・ タクジ  京大・法  企画部門  2001年
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・ タカシ(私でんがな!)  大阪市立・経  システム部門  1997年

 

私と同期で銀行に入社し、後に外資コンサルに転職した人物のプロフィールを一覧にすると、「私(タカシ)が最も早く外資コンサルに転職した」ことがわかります。それは、なぜでしょうか ?
理由を探る前に、私と他の者の違いを見てみましょう。

 

【タカシの特徴】
(1) 出身大学が、「超・一流」 ではない
(2) 銀行時代の主な経歴が、主要部門 (※) ではない (※: 銀行の主要部門とは、「営業」 「企画」 「マーケット」を指す)

 

まず、(1) の出身大学が、「超・一流」でないと、何が起こるか? 傾向として、主要部門への配属が厳しくなります。実際には、出身大学が 「超・一流」 だから主要部門の業務に適していて、 「二流」 だから適していないわけではありません。 「超・一流」 でもダメなやつもいれば、 「二流」 でも優秀なやつはいる。でも、こうなってしまう・・・ なぜでしょう ?

 

一番の理由は、「上(上司)が同じ大学だから」 というのが大きい。で、その上司の上司も同じ大学だから・・・ という感じで、延々と引き継がれた 「伝統」 のようなものがあって、結果、一定の大学出身者に落ち着くわけです。

 

「鶏口となるも牛後となるなかれ」 という、ことわざがあります。 「レベルの高い人がたくさんいる中でビリになる (牛後) よりも、少数精鋭の中でトップになる (鶏口) 方がいい」 という意味なんですが、伝統的な企業では、これもある程度は正しいのかもしれません。

主要部門に配属されない “メリット”

次に、(2) です。会社の主要部門に配属されないと、何が起こるか ? 主要部門以外の部署は、層が薄い傾向にあるので、若くして要職を任されやすいように思います。私の場合、システム部に配属されて 2 年目で、あるプロジェクトのリーダーをやっていました。一方、営業や企画などの主要部門に配属された同期は、依然として下働きの域を出ていなかったように思います。

 

また、主要部門以外の部署の方が、一般的に「つぶしの利く」仕事が多いようにも思います。言い換えると、「他の業界でも通じるスキル」 というか、 「手に職がつく」 というか・・・ そんな感じ。一方、主要部門というのは、その会社や業界ならではの業務だからこそ主要部門なのであって、他の業界に同じような仕事が転がっているわけではない。その会社でしか通用しない仕事が多いように思います。

 

それともう 1 つ、実は転職においてはこれが最も大きい要因なのですが、主要部門に配属されていないので、会社からあまり期待されていない (ように感じた ! ) というのがあります。つまり、後ろ髪引かれることなく、スパッと転職しやすかったのです。一方、主要部門に配属された連中は、 「実は、転職を考えていまして・・・」 みたいなことを口にした瞬間、上司や部長、それこそ役員までが総出で引き止めにかかったに違いありません。 「君には本当に期待しているんだよ、将来、うちの銀行を背負って立つ人材としてね。だから、辞めるなんて言うなよ、グハハ・・・ ! 」 てな感じで、説得されたに違いありません。

最後に生き残るために・・・

上記分析の結果をまとめると、次のようになります。

タカシは超・一流大学を出ていない
→ 銀行の主要部門に配属されない
→ 若くして要職を任される (リーダーシップ) + 他の業界でもつぶしの利く能力 ( IT スキル) + しがらみのない環境 (転職しやすい)
→ 早期に転職 !

 

もちろん、これだけが転職の要因ではありませんが、いわゆるエリートではなかったことが、私の転職時期を早めたことは確かだと思います。

 

さて、幸いにも、私は同期エリートよりも早く転職に成功しましたが、今となってはみんな同じ業界にいるわけで、銀行に入社したときと同様、 「ふりだし」 に戻ったようなもんです。いったい、だれが最後に生き残るのか ?

 

実は、こればっかりは、よくわかりません。今でこそ、 「外資金融に行かずに、外資コンサルにしておいて良かったね・・・(T-T)」 と言えるものの、半年前までは、外資金融に転職した同期の給料が高いのを羨ましく思っていたわけでして、半年先にはどうなっているかわかりません。現に、コンサルの仕事も目に見えて不景気になってきてるし・・・ (T-T)

 

「生き残る」 という観点で言えば、 「柔軟に、臨機応変に、立ち振る舞えるか ? 」 ということに尽きるのではないかと思います。「いざというときのために、スキル獲得の勉強をしている・・・」それはそれで結構でしょう。でも、本当のスキルというのは、机上の勉強ではなく、実際の業務を通じてこそ、体得できるものだと思います。私のように、会社の本業とは程遠いように思える仕事であっても、かえって一般には評価されるスキルもあるわけでして、会社の仕事をおろそかにしてはいけません。

 

また、いざというときに、また、自分が決断したときに、会社を辞められる状況を作ることも重要です。これは、徐々に存在感を消して、フェードアウトしていくことではなく、むしろ逆です。自分に課せられた仕事を可能な限りやり切って、もうやり残したことはない ! と言えるぐらいにしておくことだと思います。その結果、あなたが本当に必要なら、学閥など関係なく、会社に残ってほしいと請われるはずです。そのときに、転職するか、今の会社に残るか、考えればいいのですから。

 

幸いにも (不幸にも ? ) 、不景気の影響を受けて、当面の転職市場は冷え込むことが予想されます。こんなときこそ、 「最後に生き残るための地力」 を身につけるときだと思います。みなさんも、同期入社の連中がどうなったか ? (自分も含めて) について、客観的に評価することで、自分が伸ばすべき点と改善すべき点を見つけてもらえればと思います。では !

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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