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タカシの外資系物語

最後に生き残る者は ? ( その 1 )2009.01.06

年始の挨拶回りにて

みなさん、明けましておめでとうございます! 本年も、『タカシの外資系物語』をよろしくお願いいたします!

 

先日(といっても、昨日のことなんですが・・・)、年始の挨拶回りをしていたときのこと。

 

「ちょっと待てよ! コンサルが、“挨拶回り” なんて、するの?」

 

するんですよ、これが! もちろん、欧米ではこのような習慣はないので、日本人だけ。日本人でも、マネージャー以上のうちの 4 分の 1 ぐらいでしょうかね。ただ、 1 つ明らかなことは、年末年始の挨拶回りをしているマネージャーの方が、間違いなく業績がいいということ。おそらく、挨拶周りの際にクライアントと交わす会話の中から、商売のネタ (商材) を拾っているのだと思います。これは私にも経験があって、何年か前の年末にクライアントの部長さんと会話した内容について、正月に提案書を書いて、年始に持っていったら即採用されたことがありました。

 

いずれにしても、日本の商慣習である「年末年始の挨拶周り」には、それ相応の効用があるというわけです。郷に入れば郷に従え、外国人スタッフもやればいいのに。「新年ノアイサツニウカガイマシタ・・・」とか言えば、それだけでもウケルと思うんですがね。

 

話を戻しましょう。私のクライアントは金融機関がほとんどなので、挨拶回りは大手町が中心となります。その日も大手町を歩いていると、どこかで見覚えのある顔が・・・


「お、タカシじゃん!」
「ん? ヒサトか!」
銀行員時代の同期、ヒサトでした。ヒサトも私と同様、銀行から外資のコンサル会社に転職した「外資コンサル転職組」の1人です。

 

私 「挨拶回りかい?」
ヒサト 「まぁな・・・ それはそうと、さっき○○銀行の受付で、アキラに会ったぜ。アイツも挨拶回りみたいだったけど・・・」

同期の転職先は?

実は、アキラも「外資コンサル転職組」の1人です。銀行員時代、私の同期入社は150人いたのですが、銀行が破綻したこともあり、半分程度は転職しています。結婚退職している者もいるので、転職の実数は、50~60名といったところでしょう。転職先としては、以下のような内訳ではないかと思います。


(1) 他の金融機関 ≒ 外資がほとんど  75%
(2) 外資コンサル(戦略系・IT系含む)  20%
(3) 一般事業会社の財務・経理部門  5%

 

上記の通り、転職者の4分の3は「外資系金融機関」というわけです。ま、銀行員時代のスキルが直接活かせるし、給料も高いし・・・ 転職しやすいのは確かでしょう。私だって、転職を検討していた時期に声がかかっていれば、コンサルではなく、外資金融に転職したかったぐらいですから・・・(No. 411 『外資流 ! イス取りゲーム必勝法』参照のこと)。

 

しかし、今となってはどうでしょう? リーマンだけではなく、多くの外資金融で、大規模なリストラが実施されています。この新年も、銀行員時代の同期 2 名から「外資金融をリストラされて、今はプータローで~す」という内容の年賀状が届きました。年賀状をくれるぐらい私と親密な仲間うちにおいて2名もいるのですから、全体では 20~30 名程度はリストラされた同期がいるのではないかとふんでいます。台所でゴキブリを 1 匹見つけたら、10 匹はいると思え!の法則と同じです(なんのこっちゃ)。

 

ただ、外資金融をリストラされた連中は、解雇されるまでにかなりの給料をもらっていたはずなので、わりと能天気なやつが多いのも事実です。年賀状をくれたやつも、「 1 年ぐらい休もうと思っていま~す!」とか書いてあったし・・・ なんか、腹立つような、羨ましいような気がするのは私だけでしょうか・・・?

外資コンサル転職組の特徴

では、「外資コンサル転職組」について見てみましょう。私の知る限り、ヒサト・アキラ以外に、銀行同期入社の「外資コンサル転職組」は、私を含めて7名います。以下に、そのプロフィールを挙げてみます(名前、出身大学、銀行時代の配属(主な在籍部門)、いつ外資コンサルに転職したか)。

 

(1) ヒサト    東大・工   営業部門   2002年
(2) アキラ    早稲田・法   営業部門   2001年
(3) ヒトシ   一橋・経   マーケット部門 2002年
(4) リュウジ  早稲田・政経  営業部門   2000年
(5) タクジ   京大・法   企画部門   2001年
(6) シンスケ  慶應・法   営業部門   2001年
(7) タカシ(私でんがな!)   大阪市立・経  システム部門(のちマーケット部門)  1997年

 

さて、上記のプロフィールを見ると、いくつかのことがわかります。まず、私以外の「外資コンサル組」は、いわゆる超・一流大学を卒業しているということです。誤解してほしくないのですが、
私はここで、「タカシは超・一流大学卒の中で、よく頑張っているなぁ・・・」と思ってもらいたくて、上のプロフィールを出したわけではありません。大学なんて、実はどうでもいい・・・ というか、大学に入ったのも卒業したのも、過去の話に過ぎません。過ぎてしまったものは仕方ないわけで、重要なことは、いかに自分の学歴やキャリアを使って、未来につなげるか、ということでしょうから。

 

ここで私が言いたいのは、「卒業大学によって、銀行時代の配属先に差がある」ということです。銀行というのは、「営業」「企画」「マーケット」の 3 部門が御三家みたいなもんでして、それら 3 部門でどれだけ業績を上げたかによって、将来の出世が決まるといっても過言ではありません。なので、みんな、それら 3 部門への配属を希望するわけで、私以外の 6 人は、それが達成されている (希望がかなっている) というわけです。かく言う私も、最初の配属時には、営業部門を希望しましたが、見事に無視されました・・・(T-T)。

 

一方、私は途中からマーケット部門に配属されたものの、銀行員としてのキャリアの大半は、システム部門です。銀行に入って、システム部を希望するやつはほとんどいないわけで、この段階で、銀行員としては、かなりのハンデを背負っているという見方もできるわけです。

 

次の特徴は、「いつ外資コンサルに転職したか」に現れています。一目瞭然ですが、私がダントツに早い! なぜか? それについては、次回のコラムでお話しましょう。
( 次回続く )

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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