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タカシの外資系物語

タカシ・外資系駆け出しの頃 ( その 3 )2004.05.28

外資系コンサルティング会社に転職して半年後、私は自ら希望して ERP 大手の S 社に出向することになりました。「自ら希望して …… 」とは言いながら、出向があまりにもカンタンに決まってしまったものですから、私はかなり拍子抜けしていました。


「外資系って、こんなにカンタンに人事を決めちゃうんだな。それにしても、明日からだれにレポートすればいいんだろ ……」


形式的には、ERP 部門の K 部長が私の出向を決めたことになっています。でも、その K 部長とも話をすることがないままに、S 社に出社する日を迎えていました。


「ま、いっか。何とかなるだろ ……」


S 社は今でこそ都心に本社がある有力 IT 企業なのですが、当時は「ゆりかもめ」の終点近くにありました。首都圏以外にお住まいの方のためにご説明しますと、「ゆりかもめ」というのは新橋という山手線の駅から出ているモノレールでして、フジテレビで有名な「お台場」を通ります。通勤用というよりは何となく観光のための交通手段というイメージが強く、東京湾を一望するためにわざわざぐるぐる回るルートがあったりして、忙しい朝にはかなりイライラします。また、出向前は 1 時間弱だった通勤時間も、S 社に通うようになって 1 時間 45 分ぐらいかかるようになってしまいました。


「ま、いっか。あのままシステム監査やってても、先が見えてるし …… 」


S 社への出社初日、私は受付で、S 社の「担当者」を待っていました。 
「タカシさん ? いやぁーー、お待たせ、お待たせ」 
強引に握手を求めてきたこの人こそ、S 社金融部門の部長である F 氏でした。 
「部長やってます F です。よろしく !」 
「あ、○○コンサルティングのタカシです。担当者の方と聞いてたんで、まさか部長がいらっしゃるとは……」 
「ははは、私 1 人しかいないからね。部長兼担当者兼秘書兼 …… なんでもアリってわけだよ」 
「へ ?」


よくよく聞いてみると、結局のところ、他のコンサルティング会社からは出向の申し出がなかったとのことでした。ま、理由は以下の通り、カンタンなことなんですけどね。


その当時、S 社を中心とした ERP パッケージのベンダーは、かなりの勢いで業容を拡大していました。しかし、どうしても伸びない分野があったのです。それは、何を隠そう「金融業界」でした。金融業界というのは閉鎖的かつ保守的な考えが主流だった ( 今でもそうですが ) ものですから、各社毎に自分たちが開発したシステムを使用していました。つまり、自社の基幹業務にパッケージを使うなんていう発想がほとんどなかったのです。


ERP パッケージというのは、内容をオープンにして、みんなで「ベストプラクティス ( もっとも効率的な仕事のやり方 ) 」を見つけていこうという考えが根底にあるわけで、その意味では、金融業界の考え方の正反対に位置していたわけです。


今思えば、その後多くの金融機関が破綻ないしは合併していったわけで、そういう意味ではもっと早くから、閉鎖的・保守的な考えを捨て去り、オープンな ERP の考えを取り込むべきだったのでしょう。現在では、いくつかの金融機関で、S 社を中心とした ERP のパッケージが採用されています。


しかし当時は、ERP が金融業界に売れるなんて、だれも思わなかったのです。特に外資系のコンサルティング会社の経営陣は、短期的な収益を上げていかねばなりませんから、長期的な投資案件にはなかなか目が向きません。ということで、各社とも S 社金融部門への出向については腰が引けていたようです。私がいた会社でも、事情は同じだったはずです。そんなとき、事情をよく理解していない私が手を上げたというわけです。「なんか、銀行から転職してきたタカシっていう物好きが、S 社への出向を希望してるらしいぞ」「面白いから行かせてみればいいんじゃないの ?」「しばらくしたら、きっと尻尾を巻いて逃げ出してくるさ ……」 ま、そんなところだったに違いありません。


「ま、ま、いっか。こういうベンチャーみたいなのも、なかなか経験できるもんじゃないし ……」


とにもかくにも、S 社での仕事が始まったわけです。私の S 社での初仕事は、なんと自分の肩書きを決めることでした。


F 部長 「何したい ?」


私 「何したいって、そんなの部長が決めてくださいよ」


F 部長 「そうだな、タカシさんには、コンサルティングのテイストが入った営業をやってほしいんで、『コンサルティング営業部長』ってのはどう ?」


私 「い、いや、別にいいんですけど、そうしたら部長が 2 人になっちゃいますよ」 
F 部長 「あ、そっか……」


超テキトー ! 結局、『営業課長』という肩書きをもらうことになりました。


「よーーし、営業課長 ! 早速明日から全国の金融機関を行脚して回るからな !」 
「は、はぁ……(トホホ……)」


翌日から、部長と課長 2 人きりの全国珍道中が始まりました。何と言っても、そもそも課長である私が S 社の製品を全く知りません。なので、とにかく部長のプレゼンを聞きながら、パッケージの内容を覚えていきました。


一方、F 部長とて、営業のプロというわけではありません。つい 3 ヶ月ぐらい前までは、某銀行のシステム部にいたわけで、私よりはマシですが、2 人とも素人と言っても過言ではないわけです。


営業のプレゼンはいつも薄氷を踏む思いでしたが、中でも一番強烈だったのをご紹介しましょう。その日、F 部長と私は、ある地方都市の貸会議室を借りて、その地方の金融機関のシステム部長を対象にしたプレゼンをしていました。F 部長は話し役、私はプレゼン資料の操作と製品デモの担当です。私は自分の PC を、これまた自分の会社から持ち込んだプロジェクタにつないで準備を整えていました。


プレゼン開始の 5 分前、私はプロジェクタの電源を入れました。ウ、ウ、ウウウィーーーーン、シューーーン …… あ、あれ ? なんかいつもと違う音だな …… ま、いっか…… 
「えーー、本日はお忙しいところお集まりいただきまして ……」 
F 部長のプレゼンが始まりました。と、突然、ポンッ ! という破裂音とともに、プロジェクタから白煙が舞い上がっているではありませんか !


「( や、やべ ! 冷却用のファンが壊れて止まったんだ。電球が熱持って切れやがった…… )」 
「( どうした ? )」 
なかなか画面が映し出されないのを見て、F 部長がこちらを振り返りました。 
「( で、電球切れました …… )」 
「( にゃ、にゃにぃーー ! ……そ、そうだ、プロジェクタのケースのふたにスペアの電球がついてるから、大至急それと付け替えて ! )」 
「( い、今やるんすか ? )」 
「( あたりめーだろーが ! )」 
「( しょうがないなぁ、もう。スペアの電球っと、あ、あった。よーーーし !…… あ、アチチッ ! F 部長、切れた方の電球が熱くてさわれませんっ ! )」 
「( あとで昼飯おごってやっから、どうにかしてくれ ! )」


ほとんどギャグの世界です。しかし、そんなこんなしながら、F 部長と私は、半年の間に、100 回以上のプレゼンを実施し、500 名以上の方と名刺交換をしました。そんなある日、ある地方銀行 Y から「導入の検討を前提に、S 社の ERP パッケージを研究したい。詳しい説明に来てくれないか」という申し入れがありました。


「や、やったぁ、やったぁ ! やりましたね、部長 !」 
「課長、あなたのおかげだよ、ありがとう !」 
私は今でも、このとき飲んだビールの味を忘れることができません。


私が S 社に出向して 1 年が経過した頃、○○コンサルティングの方から、「至急、戻ってくるように !」という連絡が入りました。結局、地方銀行 Y とのプロジェクトは実現しませんでした。S 社の製品は最後の最後まで候補に残ったのですが、最終的にはパッケージは採用されず、地方銀行 Y と長く付き合っているベンダーがシステムを手作りで作り込むことになりました。


私が S 社を去って 3 ヵ月後、F 部長も S 社を去りました。要はクビになったわけです。ま、1 年半もの間、何の実績も上げることができなかったのですから当然ですが。F 部長が去ると同時に、S 社は金融部門を縮小し、サービス業部門の一部に組み入れてしまいました。そして現在においても、S 社には金融部門は存在しません。S 社における金融部門は、F 部長、タカシ課長のそれぞれ 1 代で終わってしまったことになります。


私も S 社への 1 年間の出向で、これといった成果を上げることができませんでした。しかし、S 社への出向は、私が IT コンサルタントをやっていく上での基礎を築いてくれたと思っています。それは、名刺交換に始まる挨拶の仕方から、製品のデモの方法、聞かせるプレゼンの極意まで、実際に経験しなければ身に付かないことばかりです。私の仕事のやり方のほとんどは、出向時代に手探りで覚えたものばかりです。


私は○○コンサルティングに戻って、金融部門における ERP コンサルティングの担当になりました。戻ってすぐ、ある業界専門誌に、「金融機関における ERP 活用の可能性」という論文を書きました。その論文が発表された数日後、ある大手都市銀行から連絡がありました。


「現在、海外部門に ERP の導入を検討しているのですが、是非タカシさんのところに力になっていただきたい ……」 その後 2 年間、私はその都市銀行への ERP 導入プロジェクトをリードしていくことになるわけです。ま、その ERP パッケージは S 社とは違うベンダーの製品でしたから、世の中ってのは皮肉なもんですけどね。


さて、3 回にわたって、私が外資系企業に入った直後、駆け出しの頃のエピソードを紹介しました。200 回のコラムのほとんどは、S 社の出向から戻ってからの話なので、ま、初期の「トホホ時代」の話も参考にしていただければと思った次第です、はい。 え ? トホホなのは初期だけじゃなく、今もそうだろって ? いや、そ、そんなことは …… え ? 200 回ほとんどトホホのオンパレードじゃねぇかって ? やっぱり、みなさんもそう思われます ? トホホ …… みなさん、これからもよろしくお願いしますね …… トホホ

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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