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先輩に聞く!インドネシア語との付き合い方

先輩に聞く!インドネシア語との付き合い方 その42015.12.15

日本語のローマ字綴りと同じように発音しても通じる!?

外国語の中には、会話やメールを楽しめるようになる前に、慣れない発音や表記法でつまずきそうになる言葉があります。文字が一筆書きみたいに繋がって見えたり、何度練習しても発音や抑揚が違っていたりと、ハードルも様々です。

 

その点、インドネシア語は、馴染みのあるアルファベットで書かれていて、しかも少しの例外を除いて日本語のローマ字綴りを読むのと同じように発音してもあまり大きな間違いはありません。例えば「歩く」(jalan)はそのままジャランと発音します。日本に「じゃらん」という旅行誌があるそうですが、jalan-jalanと言えば「散策」という意味になります。

インドネシア語の発音で一つの例外は「e」の発音です。文字通りに「エ」と発音する場合と、英語にも出てくる曖昧な音、発音記号の「ə (曖昧母音:schwa)」と発音する場合の2種類があります。日本語にはないのでちょっと厄介です。

 

例えばenak (美味しい)はそのままエナッと発音しますが、数字の6はenam、əナムと発音します。「ə」はアかウかエか分からないくらい「いい加減に」軽く発音すれば良いと考えれば気が楽です。enamも実際にはしばしば「ナム」としか聞こえません。

 

発声でもう一つ厄介なのは、単語が子音で終わる場合です。Banyak (多い)、cepat (速い)などで、日本語にはない音なのでバニャック、チュパットなどとフリガナをつけますが、最初はむしろエナッ、チュパッなどと子音を無視して最後の音を強く発音した方が無難です。神経質になる必要はありません。但し、勘定書はbon (ボン)ですので、「~を下さい」に使う動詞のmintaを付け加えて"Minta bon."と言えば、「お勘定をお願いします」となりますが、店員が聞き間違えて爆弾 (bom、ボン)を持ってきても驚かない覚悟が必要です。

 

因みに、mintaを繰り返すと「乞食」(minta - minta)になるので要注意です。インドネシア語はしばしば単語を繰り返して使いますが、それは別の機会にお話ししましょう。

 

また、もし貴方が江戸っ子の「べらんめえ」という啖呵を真似出来たら、それはインドネシア語の堂々たる「ら」です。苦手の日本人が多い「R」をきれいに発音できるので、一味違うインドネシア語になります。

インドネシア語の旧綴りに要注意

日本語のローマ字表記にないアルファベットは「C」です。「ち」と「ちゃ」行の音、cinta (チンタ、愛)、canpur (チャンプール、混ぜる)などのように使います。

 

因みに、沖縄料理にチャンプルーがありますが、matahari (マタハリ、太陽)も沖縄の言葉と似ています。インドネシア語、フィリピンのタガログ語、琉球の言葉は言語学的にも繋がっていて、似た言葉がいくつもあるそうです。それはともかく、「C」に注意すれば、書かれたインドネシア語はローマ字日本語読みで一通り読めるので安心です。

 

気を付けるのは、インドネシア語の旧綴りが人名や地名などに残っていることです。1972年の改正の名残ですが、旧綴りは4種類あります。Jの旧綴りがDj、Cの旧綴りがTj、YがJ、UがOeです。首都のJakartaはDjakarta、Cina (チナ、中国)はTjinaと以前は書かれていました。今の副大統領はJusuf Kalaですが、これは旧綴りですので、「ユスフ・カラ」と読みます。普通ならジュスフと読むところでしょう。

 

「oe」の綴りでは、初代大統領のスカルノは当時はもちろんSoekarnoですが、今はSukarnoと表記するのが普通です。その長女で第4代大統領になったメガワティ・スカルノプトゥリ女史をウィキペディアで調べると「Megawati Soekarnoputri」と書かれています。スカルノが旧綴りなのはその家系や血筋を感じさせますが、その後「putri」が新綴りになっているのがご愛嬌です。

 

なお、「putri」とは娘、「Soekarnoputri」でスカルノのお嬢さん、といった意味合いになります。先日雑誌にオランダ時代の建物を改装して植民地時代の雰囲気を残したインドネシア料理店の紹介が載っていました。店の名前は「Roemah Kuliner」、雰囲気に合わせて敢えて旧綴りを使ったのでしょう。rumahは「家」の意味ですので、英語で直訳すると「Culinary House」、洒落たネーミングです。

歴史を感じさせる文書にチャレンジ

今回でこのインドネシア語シリーズも4回目になりますので、インドネシアの歴史文書「青年の誓い」の一部を原文のまま掲載してみます。青年の誓いはインドネシアがまだオランダの植民地であった1928年に各地の青年が集まって会議をし、インドネシアがひとつの祖国と民族、言語を持つと高らかに宣言した文書です。今でも色々な行事で参加者がこの誓い唱和し、民族唱歌にもなって親しまれています。

 

全部で3つの文章の短い宣言ですが、以下の抜粋はその3番目、「第3   我々インドネシアの青年男女は、統一の言葉、インドネシア語を使う。」という部分です。旧綴りが歴史を感じさせる文書、チャレンジしてみて下さい。

Ketiga Kami poetera dan poeteri Indonesia, mendjoendjoeng bahasa persatoean, bahasa Indonesia. (クティガ カミ プトゥラ ダン プトゥリ インドネシア ムンジュンジュン バハサ プルサトゥアン、バハサ インドネシア)    ketigaはtiga(3)にkeが付いて3番目という意味です。kamiは私たち、puteraとputeriは若い男性と女性です。

現在なら高校生かせいぜい大学生までが対象でしょう。

 

menjunjungは「頭に乗せて運ぶ」という意味から、尊重する、守るという意味になります。「使う」と訳しましたが、「誇りと敬意を持ちつつ使う」というニュアンスでしょうか。

 

bahasaは言語、インドネシア在住の日本人は日常会話でインドネシア語を単に「バハサ」と言って代用する人が多いです。persatuanはsatu (ひとつ)の前後に助詞みたいのが付いて、「一つになる」の名詞形です。

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この記事の筆者

城田 実

1972年横浜市立大学卒業、1973年外務省入省。74年から2年間インドネシアのジョグジャカルタ、ガジャマダ大学留学。以後、インドネシア大使館、外務省アジア局などインドネシア関係を中心に勤務。インドネシアの3総領事(スラバヤ、メダン、デンパサール)を歴任。2011-2013年まで2年間デンパサール総領事館総領事を就任後、外務省を引退。現在、日本在住。約40年間のインドネシアを知るエキスパート。現在、インドネシア研究会 Santai 代表。

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