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有元美津世のGet Global!

東マレーシア -- ボルネオ島 (3) 2024.03.05

 

マレーシアの13州のうち、一番面積の大きいのがサラワク州です。ボルネオ島の西の方に位置し、ブルネイはサラワクとサバに挟まれた格好です。

サバ同様、サラワクでも多数派は先住民で(30%超)、マレー系(24%)よりも多いです。華人は22%なのですが、州都のクチンでは30%を超えています。それで中華料理店だらけ...(日本人が思い浮かべるような中華ではなく。私はサバの中華の方が好き。)

KLやサバでは、配車アプリのGrabに乗ると、華人よりもマレー系の運転手にあたることが多いのですが、州都のクチン(Kuching)での運転手は、ほとんどが華人でした。運転手から届く”On my way”(そちらに向かっている)というメッセージも、中国語で送られてきます。

なお、サラワクで一番多い宗教はキリスト教(50%)で、イスラム教徒(34%)を上回っています。マレーシアでキリスト教徒が半数を占めている州は、サワラクだけだそうです。国教であるイスラム教は、州の宗教ではありません。キリスト教徒が多いのは、イギリス人藩王(rajah)の統治の下で先住民が改宗したからのようです。

 

サラワクの歴史

 

マレーシアが、イギリスの植民地であったことを知っている人は多いと思いますが、サラワクの歴史は、ちょっと変わっています。1841年~1946年まで、イギリス人の藩王(”white rajah”と呼ばれる)に統治され、イギリスの植民地になったのは、世界大戦終結後なのです。

このイギリス人藩王というのは、ボルネオ島にやってきた探検家で、先住民の反乱を鎮圧したことで、当時、サラワクを統治していたブルネイのサルタン(Sultan)からサラワクを譲渡されたのでした。(条約に署名するように圧力をかけられたらしいが。)

初代の白人藩王が亡くなった後、甥が継ぎ、その後も一族が牛耳り、100年以上、王朝(dynasty)が続いたのでした。個人が他国に行って王朝を築くって... 藩王側が築いた博物館などではいいことしか書いていませんが、現地の人は「植民地に変わりはない」と思っていたようです。

1941年には、サワラクの人に自治権が譲渡されることになったのですが、日本軍の侵攻によって実現しませんでした。世界大戦中、やはり日本に占領されたのですが、サラワクの博物館では、どこも「第二次世界大戦中は日本の統治下で逆境に置かれた」くらいの記述しかないのは、サバのように日本軍による残虐な行為がなかったからでしょうか。

戦後、サラワクの人は独立を願っていたのですが、白人藩王はイギリス政府とサラワクを割譲する密約を交わしており、サラワクは1946年にイギリスの植民地となったのです。主にマレー系による反対運動で、イギリス政府が派遣した知事が暗殺されるなど、1950年まで反割譲運動が起こりました。

マレーシア連邦(Federation of Malaysia)の一部になるという条件で、イギリスがサラワクの独立に合意したのが1963年のことです。

マレーシア連邦は、1957年にイギリスから独立を果たしたマラヤ連邦(現西マレーシア)と北ボルネオ(サラワクとサバ)を統合してできたのですが、これに対しインドネシアが反発しました。マレーシア連邦の設立にはイギリス政府が絡んでいたことから、スカルノ大統領(日本では第四夫人が有名)は「マレーシアはイギリスの操り人形。東南アジアでの新帝国主義・新植民主義の台頭につながる」と”Crush Malaysia”(マレーシアを潰せ)のスローガンの下、1963年にマレーシア紛争(Indonesia-Malaysia Confrontation)が勃発しました。1964年には、インドネシア軍はマレー半島の攻撃も開始しました。なお、オーストラリアやニュージーランドを含むイギリス連邦がマレーシア側について参戦し、戦死者も出ています。

1965年にインドネシアのクーデター未遂(9月30日事件)でスカルノ大統領が失脚したことで、紛争は1966年に終結しました。

 

サラワクの経済

 

サラワクの経済は、マレーシア内で第四位、国のGDPの9%を担っています。最大の輸出品は石油と潤滑油で、全体の62%を占めています。ただし、大型水力発電所がいくつかあるため、脱炭素ビジネスの拠点として期待されています。

なお、日本は、サラワクにとって最大の輸出相手国(26%)で、第二の輸出先の西マレーシア(16%)を上回っています。日本がサラワクから輸入しているのは木材です。

ジェトロによると、サラワクには19の日本企業が存在するそうです。サラワクには多くの工業団地がありますが、日本人向けの求人も工場での勤務が中心です。

また、今夏から移転が始まるインドネシアの新たな首都ヌサンタラ(Nusantara)は、ボルネオ島の東部(東カリマンタン)に位置しており、サラワクもサバも、経済チャンスとして期待しています。サラワクでは、すでに水力発電(hydropower)による電力を西カリマンタンに輸出しており、今後、西カリマンタンに水力発電所を建設する予定です。また、マレーシア政府は、カリマンタンとの国境沿いのインフラ整備に10億リンギッドの予算を計上しています。

 

気候

 

サワラクの州都クチンは、マレーシアで一番雨の多い地域だそうです。マレーシアには、雨季(wet season)と乾季(dry season)がありますが、サラワクの場合、乾季は「雨季ではない時期」という感じで、”dry season”というより、”less wet season”と考えた方がよさそうです。6月~8月が一番降雨量が少ないのですが、それでも月の半分以上、雨が降ります。

同じボルネオ島でも、サバは10月~1月くらいが雨季で、2月になると晴れの日が多いです。が、サラワクに移動した途端、毎日のように雨が降りました。 なお、西マレーシアでは、雨季は4月~10月です。雨季の方が暑さがマシなので(湿度は高いままだけど)、私は雨季の方が好きです。

ちなみに、マレーシア(や他の東南アジア)の人に「今、学校は冬休み?」などと言おうものなら、「マレーシアには冬も夏もない。あるのは雨季と乾季だけ!」という返事が返ってきますので。(あと、あるのはhot, hotter, hottestの3シーズン。)

 

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この記事の筆者

有元美津世

大学卒業後、外資系企業勤務を経て渡米。MBA取得後、16年にわたり日米企業間の戦略提携コンサルティング業を営む。社員採用の経験を基に経営者、採用者の視点で就活アドバイス。現在は投資家として、投資家希望者のメンタリングを通じ、資産形成、人生設計を視野に入れたキャリアアドバイスも提供。在米30年の後、東南アジアをノマド中。訪問した国は70ヵ国以上。
著書に『英文履歴書の書き方Ver.3.0』『面接の英語』『プレゼンの英語』『ビジネスに対応 英語でソーシャルメディア』『英語でTwitter!』(ジャパンタイムズ)、『ロジカル・イングリッシュ』(ダイヤモンド)、『英語でもっとSNS!どんどん書き込む英語表現』(語研)など30冊。

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