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有元美津世のGet Global!

東マレーシア -- ボルネオ島 (2) 2024.02.27

 

東マレーシアにあるサバ州とサラワク州ですが、前回、書いたように、マレーシア人も入境手続きが必要な自治州です。マレーシア連邦とは別に、外国人向け長期滞在ビザ制度(MM2H)を展開しているのも、そのためです。

「同じ国なのに」と思うかもしれませんが、1963年にマレーシア連邦が生まれた際、両州とも本当は独立したかったのです。当時、東南アジアへの共産主義の拡大を恐れていた旧宗主国のイギリスに圧されて、渋々、マレーシア連邦に加入したようです。

ところが、約束された自治権も弱められ、議会では割り当てられ散る議席が少ないため東マレーシアの声は反映されず、主要輸出品である石油や天然ガスは西マレーシアに奪われて、富は西に蓄積され、東マレーシアの発展は遅れたままで、とくにサバは貧しいまま… ということで、両州とも連邦政府への不満は高く、今も独立を願う声は強いようです。

イスラム教徒(マレー系)とそれ以外(主に華人)の対立を利用する西マレーシアの政治に巻き込まれるのもウンザリのようです。というのは、東マレーシアは、マレー系ではなく、先住民(indigenous people)が多数派であり、西マレーシアよりも、さらに多様な民族から成っているからです。

 

サバ州

 

先週、書いたセンポルナ(Semporna)のあるサバ州(Sabah)では、マレー系も華人も人口に占める割合は9%ほどで、先住民族が多数を占めます。(しかし、華人の割合が一番多いペナンよりも中華料理がおいしい。サバの華人は客家系が多く、一番話されている中国語も客家語。)

多数ある部族のうち、一番多いのが19%のカダザン・ドゥスン族で、サバに住む少数民族の6割を占めます。サバ住民の7割はイスラム教徒ですが、彼らの7割はキリスト教徒です。

次に多い先住民族はセンポルナを中心にした島々に住むバジャウ族(16%)で、彼らの95%がイスラム教徒です。どちらの部族も、その中に多数のサブグループが存在し、〇〇族と一括りでは説明しにくいです。

バジャウ族は、”sea nomads”(海の遊牧民)“sea gypsies”(海のジプシー)とも呼ばれる海上部族ですが、センポルナ沖に多々ある水上コテージには、彼らが小舟で魚やアイスクリームを売りに来ます。(それを買うと、調理してくれるリゾートも。)

しかし、マレーシア政府の政策もあり、昔のように船で生活する人たちは100~200人ほどで、多くは水上住居や陸に定着しています。有名な島にマブール島というのがあるのですが(高級コテージもあるが、安いコテージもあり)、昨年、そこに住む14歳くらいの女の子と話をしたところ、無国籍(stateless)なので学校に行けないとのことでした(英語うまかったのに)。

バジャウ族には、1969年から始まったモロ紛争(ミンダナオ島のイスラム教徒の反政府グループとフィリピン政府との武力紛争)の際にフィリピンから避難してきた人たちもおり、フィリピン出身のバジャウ族には無国籍の人も多いのです。無国籍の場合、まともな職にも就けませんし、行政の支援を受けることもできません。

私はマレーシアのママク(イスラム教徒のインド系)料理が好きなのですが、センポルナでは、毎朝、近くのママク(mamak)のレストランで朝食を食べます。その周りには、昨年もバジャウ系のストリートチルドレンが何人もたむろしていたのですが、今年は、さらにアグレッシブになっており、4~5歳くらいの子は食事をしているテーブルにやってきて、(お金ではなく)食べ物を催促してきました。満足にごはんも食べられないようです。

実は、サバは、マレーシアで一番貧困率(19%)が高いのです。サバ第二の都市、サンダカンも、寂れた港町という感じですが、フィリピンからの不法移民問題も抱えているようです。

 

日本による占領

 

州都コタキナバル(Kota Kinabalu、略して”KK”)は、マレーシアを訪問したことのない人でも聞いたことはあるのではないでしょうか。

第二次世界大戦中、日本による占領下、抗日蜂起では多くの人が日本軍に処刑され、連合軍による空襲で街は壊滅的な被害を受けました。(日本に占領されていなければ、そんな目に遭わなかったろうに…と思わずはいられません。)処刑された犠牲者300人以上を記念した記念碑(Pegatas War Memorial)がKKの空港の近くにあります。

州第二の都市、サンダカン(Sandakan)は、70年代に映画化された「サンダカン八番娼館 望郷」で一躍世間の知ることになったのですが、覚えているのは今の50代後半くらいまででしょうか。サンダカン郊外の捕虜収容所跡には記念公園 (Sandakan Memorial Park)があり、サンダカン死の行進(Sandakan Death Marches)で亡くなった連合軍捕虜2400人以上を追悼する記念碑がオーストラリア政府によって建てられています。

キナバル山の入口にあたるクンダサン(Kundasang)にも戦争記念碑がありますが、サンダカンから始まった死の行進は、260キロ離れたクンダサンの近くのラナウ(Ranau)を目指したものでした。

私も、昨年、その二都市の間にあるセピロック(Sepilok)の熱帯雨林に数日、宿泊しましたが、熱帯気候の中、あのジャングルをほとんど食料ももらえず、何百キロも裸足で歩かされて、生き残った人(6人)がいることが奇跡的だと思います

現地の若い世代も、80年前の戦争よりもアニメの方に興味があるのですが、長期滞在ならもちろんのこと、観光で訪問するにしても、日本が絡んでいる歴史を最低限は把握しておきたいものです。

 

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この記事の筆者

有元美津世

大学卒業後、外資系企業勤務を経て渡米。MBA取得後、16年にわたり日米企業間の戦略提携コンサルティング業を営む。社員採用の経験を基に経営者、採用者の視点で就活アドバイス。現在は投資家として、投資家希望者のメンタリングを通じ、資産形成、人生設計を視野に入れたキャリアアドバイスも提供。在米30年の後、東南アジアをノマド中。訪問した国は70ヵ国以上。
著書に『英文履歴書の書き方Ver.3.0』『面接の英語』『プレゼンの英語』『ビジネスに対応 英語でソーシャルメディア』『英語でTwitter!』(ジャパンタイムズ)、『ロジカル・イングリッシュ』(ダイヤモンド)、『英語でもっとSNS!どんどん書き込む英語表現』(語研)など30冊。

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