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タカシの外資系物語

“時代劇” の衰退 から見た 日本の弱み (その3)2014.10.28

アメリカの西部劇が持つ “システム” とは?!

前回の続き) ベストセラー本 『なぜ時代劇は滅びるのか?』(春日太一著:新潮新書)を読んで、日本の時代劇における衰退プロセスとその原因が、日本の製造業と酷似していることに驚いたタカシ。それは、「マーケティングの失敗」「人材育成・スキル移転の失敗」 等々・・・ ま、日本の製造業のみならず、一世代を謳歌したものが衰退をたどるときの理由というのは、多くの点で共通項があるように思います。さて、日本の時代劇がそうならば、アメリカの時代劇である “西部劇” はどうなんでしょうか?

 

アメリカ人同僚A 「・・・ふーーん、アメリカでもマカロニ・ウエスタンなどの西部劇には翳りが見えるけど、日本ほど凋落してはいないな。そもそも、日本の時代劇とは、“システム” が違うからね・・・」

 

私 「“システム” ?」

 

同僚A 「それはさぁ・・・」

 

同僚Aがいう “システム” とは、大きく分けると、以下3つに集約できます。。

 

(1)      各エンターテイメント分野(西部劇、SF、サスペンス、戦争もの、等々)における ファン層が厚い(ファンの絶対数が多い) こと 

→ 大数の法則により、マーケティングが比較的容易で、大きくはずすことがない

(2)      西部劇製作におけるスキルや技術、経験などを、可能な限り 文書化 して残している 

→ 仮に前世代が途絶えても、文書ベースで、スキル移転や人材育成が実現できる

(3)      アメリカ人の多くが、ある理由により、“西部劇” をリスペクトしている 

→ (少し複雑なので、後述します)

“伝統” と “今” の両立が重要

まず、(1)について。アメリカにおける映画や舞台などの “エンターテイメント産業” は、間違いなく世界一のビジネス規模であり、一定期間維持・確立された分野は、そう簡単に衰退したりしない、という指摘は、非常に納得感があります。

 

例えば、20世紀において屈指のヒット作といわれている 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、みなさんもご存知ですよね。その最終回、パートⅢでは、舞台が西部劇の時代に移ります。これって、かなりの勇気が必要だったと思うんですよね、製作スタッフやスポンサーにとって。現代や未来、または100年前程度の過去でお茶を濁していれば、確実にヒットすることは間違いないドル箱作品です。それを、西部劇時代にまでタイムトリップさせる勇気というか、作り手の自信というか、そういうのが、米エンターテイメント業界の分厚さ(人財力・マーケティング力)につながっているように思います。

 

次に (2) については、外資系企業に勤めていると、本当に実感する事象です。日系企業は、ストックされている紙はやたら多いのですが、肝心要の核心部分がほとんど書かれていない。そういうのは、一子相伝、師匠の背中を見て体得すべし、あ・うんの呼吸を重視すべし・・・ とか言って、つかみどころのない抽象的なものとして扱われ、日本人自身もそのことに大きな疑問を持っていないのです。「心の目で見ろ!」とか・・・ 見えんし・・・

 

昔はそれでも何とかなったと思うんですよね、習得すべきスキルが限定的だったので。しかし、今現在、例えば映画の世界なら、特殊効果は当然のこと、ワイヤーアクション、3D、コンピュータ・グラフィックスが必須となり、それに加えて、わび・さびを理解しつつ、あ・うんの呼吸で、心の目で見ろと言われても、無理だと思うんです。

 

文書に落とせば1日で伝わる技術を、見よう見まねで10日かけて習得する。それを良しとする世界を否定しませんが、チームで作業をしている以上、チームのスピードに合わせることも重要だと思います。ときには、伝統的な方法を現代風にアレンジすることも必要ではないでしょうか。それを拒むあまり、時代劇そのものがこの世から姿を消してしまったのでは、本末転倒ですからね。

 

時代劇 = 日本人の “アイデンティティ” ?!

最後に、(3)について。これ、結構 “重い” んで、気合入れて読んで下さい! 

 

  • 「アメリカ人の多くが、ある理由により、“西部劇” をリスペクトしている」 よって、西部劇は衰退しない

 

これって、言い方を変えると、

 

  • 「日本人の多くは、“時代劇” をリスペクトする特段の理由がない(または、以前より薄れた)」 よって、日本の時代劇は衰退した

 

ということを言っています。

 

では、アメリカ人が “西部劇” をリスペクトする ある理由 とは何でしょうか? それは、「建国(国造り)の精神」 と、密接に結びついているということ。アメリカン・スピリットの原点を、西部劇に見出しているということ、に他なりません。

 

ご存知の通り、アメリカは移民の国です。1492年に、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、1600年代に入って、メイフラワー号の渡航をはじめとした入植が本格的に始まりました。大陸に移り住んだヨーロッパ人(清教徒中心)は、金(ゴールド)を求め、西へ西へと開発を進めていきます。アメリカは、そうやって国が造られた。まさに、その時代のお話が、“西部劇” というわけです。

 

つまり、アメリカ人(白人)は、自分たちのご先祖様が開拓した、アメリカ合衆国という原風景を、現在になっても、西部劇の中に見ているのです。「自分の国がどのように作られたか?」 この問いは根源的なものであって、流行り廃りという概念に当てはまるものではありません。よって、西部劇は衰退しないわけです。

 

一方、日本人にとっての 国造り は、どこにあるか? 『古事記』 や 『日本書紀』 がこれに該当しますが、日本はアメリカよりもずっと歴史が長く、また、そこに関わる天皇家が現存し、神話と現実を整合的に説明する困難さから、『古事記』 や 『日本書紀』 を、科学的 かつ 厳密に分析し、教育することはしなかった。ただただ、現世の天皇を “現人神” として祭ることで、国造り神話を曖昧にしてきたのです。

 

では、日本人に 民族のアイデンティティ を想起させる原風景はなかったのか? いや、あります。というか、つい最近までありました、というべきかもしれません。それが、『武士道』 なのです。

 

明治維新を経て、日本は西洋式近代国家への道を選択しました。帯刀を禁止し、髷を落とさせ、洋服を着るようになった。しかし、千年以上続いた 武士 を中心とした生活様式は、短期間で変わりません。見た目は西洋風でも、そのほとんどは 『武士道』 に根付いた精神を持ち続けた。それは、日本が太平洋戦争に負けるまで続きます。

 

敗戦後、日本を占領したアメリカは、日本人、日本国の特殊性を理解します。

 

「この民族に『武士道』というアイデンティティを残してはいけない。少しでも残してしまえば、近いうちにアメリカの覇権を脅かす国として、また復活する恐れがある・・・」 

 

この発想により、

 

・      日本の戦前=めっちゃ悪、もー最悪! みんなーー、忘れようぜーー!

・      アメリカ式戦後=バラ色の理想形 (^-^)

 

という構図ができたのです。朝日新聞などは、そのプロパガンダに乗った、中心的なメディアだったと思います。

 

しかし、アメリカがどんな政策を取ろうとも、戦前のことを少しでも覚えている人、またその人から教育を受けた人から、日本人の原風景である 『武士道』 の精神を完全に抜き取ることはできません。この行き場のない日本人の 『武士道パワー』 が驚異的なな高度成長につながっていくのです。だから私は、日本の高度成長は当然の帰結であって、決して 奇跡 が重なったもの、とは見なしていません。

 

ところが、団塊の世代、戦争を知らない子供たちが親となり子を産む、その子がまた子を産む・・・、という時代になって、日本人の原風景である 『武士道』 との接点が、大量に切れ始めた。

 

「『武士道』って、何ぃ? 時代劇、ダセー!」 

 

これが、現代日本の中心世代なのです。成人式で羽織袴姿のまま大暴れする。茶の湯の わび・さび を、スティーブ・ジョブズから教えてもらう。そういう国になってしまったのです。時代劇の衰退も、当然の帰結だと思いませんか?

 

今や日本は、国造りや 『武士道』 にも誇りが持てず、かといって、アメリカ人にはなりきれず、かといって、中国人や韓国人のような一種の割り切りも持てず、一方で小金だけは持っている、“トンデモ中途半端国家” になってしまいました。どうすればいいのか。やはり私は、教育 がキーだと思っています。日本人の原風景としての 国造り(≒天皇制) や 『武士道』 を、いかにして教えるか? または、全く新しい価値観を構築するか? 数百年というマクロ的な視点で見た場合、現在は、日本という国にとって、大きな岐路に立つ重大な局面だと思います。

 

今回のコラム、少々私の私見が先行したきらいがあったかもしれません。しかし、TVや映画からお馴染みの時代劇が消え、くだらないバラエティ番組の画面をみるたびに、ため息が出ます。どうか私の私見が、悪い方向に転びませんように、切に願ってやみません。三つ指を立てて、「お父様、おやすみなさいませ」という娘にはなってほしくないですが、情に厚く、弱者に手を差し伸べる人間になってほしいと思っています。では!

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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