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タカシの外資系物語

外資系 華麗なる転身を繰り返せ !2007.02.06

華麗なる転身を繰り返せ !

「おっ ! ○○さんって、大学教授になったんだ ・・・ ふーーん ・・・ 」 


○○さんというのは、私が前職のコンサルティング会社でお世話になった方です。毎年、年賀状のやり取りをしているのですが、今年もらった年賀状の肩書きには「△△大学・経営大学院教授」となっていました。 


○○さんと同様に、以前は私と一緒に働いていて、現在は大学教授になっている人は、かれこれ 5 名以上になります。転出された大学も、一橋大学・東京工業大学・東京理科大学・立命館大学など、名だたる大学ばかりです。定年に近い年齢まで働いた後、余生は研究生活で過ごす ・・・ なんとも羨ましい話。ま、みなさん、 MBA ホルダーとか公認会計士だとか、それなりの「資格」を持った方ばかりなので、資格のない私はかなり難しいんですけどね。 


このような元上司や OB がいるというのも、コンサルティング会社ならでは、という気もします。しかし最近、この逆のパターン、つまり「学者だった人がビジネスに殴りこむ」というケースも見られるようになってきました。特に、 IT やバイオ関連の研究者が、自分の「技術」をベースに起業するケースが目立ちます。銀行やベンチャー・キャピタルなどが、彼らの「技術」に投資するというスタンスを持ち始めたことも、追い風になっているのでしょう。 


同じような動きは、政界との関係においても見られます。大臣や次官を務めたような人が大学教授に転身する例はこれまでにも数多くありますが、最近では、大学教授だった人が政治家になって、また教授に戻る … というような例も出てきました。最も有名な例は、竹中平蔵さんのケースでしょう。彼は、 「慶応大教授 → ( 複数の ) 大臣 → 慶応大教授」へと転身されています。 


日本ではまだあまり例はありませんが、アメリカでは「産業界 → 政治家 → 産業界」というパターンも見られます。過去の大統領政権ブレーンの中には、大手投資銀行や大企業出身の「元ビジネスマン」が多く存在しており、彼らは大統領の交代を機に、また産業界に帰っていきました。 

「リボルビング・ドア」って、何 ?

上記で述べた「産業界 → 政治家 → 産業界」といった転身パターンのことを、アメリカでは「リボルビング・ドア ( 回転扉 ) 」と呼んでいます。この概念の面白いところは、回転する扉であって、決して一方向だけの扉ではないということです。例えば、「官僚 → 企業役員」という一方向だけでは、単なる「天下り」に過ぎません。回転扉のごとく、各業界の人材が、流動的にグルグル回るところに、リボルビング・ドアの醍醐味があるのです。 


人材の流動化が活発になる反面、政治が産業界とあまりにも強い結びつきを持ってしまうと、特定企業との癒着など、デメリットも出てくるでしょう。日本の場合は、むしろそのデメリットに配慮して、政治、官僚、産業界がある程度の棲み分けをしてきた歴史的経緯があります。しかし、過度に業界毎の保身に走ったことによって、各業界の考え方が極めて画一化されてしまったのも事実でしょう。業界毎に回転扉を少しぐらい増やしてもいいように思いますが、いかがでしょうかね。 


冒頭で、私の知人で大学教授に転身した人の紹介をしましたが、実は、政界に進んだ人もいます。その知人 O さんとは、前職コンサル会社への入社が同時期で、 2 人とも元銀行員。彼は 2 年間コンサル会社で働いて、その後、衆議院から立候補し、見事当選を果たしました。が、議員であったのは 1 期のみで、その後の選挙には 3 回連続で落選。先日連絡があった際には、「お金がすっかりなくなったので、しばらく働きます ・・・ 」なんて言っていました ・・・ ( T-T ) 。 


ただ、彼が当選したときのスローガン 『現業を知る政治家』 というのは、それなりに説得力があったように思います。 Oさんには是非、再チャレンジしてほしいと思っています ( お金が貯まったら、ね ! ) 

外資と日系の間には ?

さて、今回私が「リボルビング・ドア」の話をしたのは、何も、私が大学教授や政治家に転身したいわけではありません。私は、日系企業と外資系企業の間にも、「リボルビング・ドア」が存在するのではないかと考えているのです。 


実は、私が日系企業から外資系企業に転職した理由は、「外資系に憧れた … 」からではなく、「外資系の考え方を学んで、強い日系を作りたい … 」というものでした。つまり、「リボルビング・ドア」を通じて、そのうち日系に戻りたいというのが、私の希望なのです ( これについては、拙著 『外資流!「タカシの外資系物語」』 に詳しく書いてありますので、ご参照下さい ) 。 


日本のマーケットを知り尽くした人材が、外資系に転職して活躍する。外資の合理的な仕事術を身につけた人材が、日系企業の改革で成果を上げる … 。 今後、このような動きは一方向ではなく、回転扉のように他方向・複数方向で起こるのではないかと思います。現在は、一部の外資系経営コンサルティング会社のコンサルタントが、日本企業の立て直しをするために経営陣として乗り込むようなケースが目立っていますが、今後は、経営層以外の現場レベルでも、このような動きが増えてくるのではないでしょうか。 


一方で、このような動きを阻害する要因もあります。最も重大なのは、「労働市場の一方向性」です。ここで言う「一方向」とは、日系から外資系への一方的な流れのことを言っています。実際に、日系から外資に転職する人はたくさんいますが、その逆はほとんどいません。なぜか ? それは、給料が見合わないからです。給料に見合うような上級職に抜擢する手もあるのでしょうが、そのような場合、日系企業が自社の年功序列を崩してしまうことを恐れ、外資にいる優秀な人材の採用に踏み込めないのでしょう。なので、外資系から日系への流れは、日系企業が破綻して、その建て直しをするような、特殊かつ経営レベルでの場合がほとんどです。 


「勤続何年」「当選何回」「教授 or 助教授」 … とかく、日本社会は、経験の長さだけを評価しがちです。ある程度の経験を要することは認めざるをえないでしょうが、同時に、その人が持つ能力や実力を正当に評価して、多様な人材を確保しなければならない時代に突入しています。「リボルビング・ドア」の発想が、小泉政権下の竹中大臣で終わってしまうことがないよう、大きな「うねり」を作っていく必要があるように思います。

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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