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ウズベキスタン(1)-- 史跡から成る世界遺産2023.10.10

 

  杭州アジア大会では、男子サッカー準決勝(semi-final)で、ウズベキスタンは韓国に負けてしまいましたね。サッカーは、ウズベキスタンで、一番人気のあるスポーツで、プロリーグもあります。(キリギスとカザフスタンも同様。)

  選手たちを見ていればわかるかと思いますが、ヨーロッパとアジアが交わる地域ですので、ウズベキスタンの人(Uzbek)は、スラブ系と東アジア系が融合したといった容貌の人たちが多いです。

 

二重内陸国

 

  そのウズベキスタンは、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、アフガニスタン5ヵ国と国境を接した二重内陸国 (doubly landlocked)です。二重内陸国というのは、海に出るのに2ヵ国を通らなければならない国のことで、世界的にウズベキスタンとリヒテンシュタインの2ヵ国しかありません。アラビア海に出るのにトルクメニスタンとイランを通らなければならないのです。

 

長年続いた独裁政治

 

  ウズベキスタンは、面積は日本より少し大きいのですが、人口は3600万人と3分の1です。しかし、これは、中央アジアでは最大の人口で、面積が7倍近くあるカザフスタンの倍近くにあたります。

  ウズベキスタンは、19世紀にはロシア帝国の一部でしたが、その後、ソ連の統治下でウズベク・ソビエト社会主義共和国となり、ソ連の崩壊により、1991年にウズベキスタン共和国となりました。

  初代大統領のカリモフ氏が、不正選挙や言論弾圧を行い、政敵を拘束して拷問するなどし、野党を徹底的につぶしました。2005年に反政府デモが起こった際には、治安部隊がデモ参加者を射殺し、国際社会から非難を浴びました。こうして同大統領が2016年に死去するまで、25年間も、独裁政治が続いたのです。

  その後、新たな大統領の下、数々の改革が行われ、市民の自由度は格段に増したようです。

 

経済

 

  ウズベキスタンは、天然資源に恵まれており、世界でも有数の天然ガス産出国で、主な輸出品は天然ガスや金です。2022年の国民一人当たりのGDPは2300ドルで、平均的な給料は月250ドルほどです。しかし、街はきれいで、建物は立派ですし、同程度の他国に比べ、裕福な印象を受けます。

  ウズベキスタンに着いて、まずビックリするのは、走っている車のほとんどがシボレー(Chevrolet) であることです(それも大半が白)。GMの本拠地、アメリカ国内でも、あれだけのシボレーは走ってないので、異様な光景です。

  GMがウズベキスタンで車の生産を始めたのは、2008年なのですが、2019年にウズベク政府が買い取り、国営となりました。ウズベキスタンの人に言わせると、好きでシボレーに乗っているわけではなく、輸入車には車の価格以上の関税が課せられるため、価格的に国内生産車しか買えないそうです。

 

日本との関係

 

  「ウズベキスタン」と言うと、「聞いたこともない。どこにある国?」という反応が多いのですが、同国へのODA(政府開発援助)拠出額で、ずっと日本が最多です。

 また、首都タシュケント(Taskent)にあるナヴォイ劇場(Navoiy Teatri)は、第二次世界対戦後、ソ連の捕虜であった日本兵が建設に関わり、劇場の入口には、ウズベク語と英語と伴に、日本語で下記のような表記があります。

1945年から1946年にかけて、極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

  1996年に、この記念プレートを設置したのが故カリモフ元大統領で、1966年の大地震で崩壊しなかった劇場を建ててくれた恩人なので「捕虜」ではなく、「日本国民」と記するようにと指示したそうです。独裁者として悪名の高い大統領でしたが、親日家としても知られていました。

 

  なお、日本人はウズベキスタンに30日までビザなしで滞在できます。

 

多くの史跡

 

  ウズベキスタンの見どころは、サマルカンド(Samarquand/Samarkand)、ブハラ(Buxoro/Bukhara)、ヒヴァ(Xiva/Khiva)といったシルクロードのオアシス都市です。美しいイスラム建築に溢れ、3都市とも世界遺産です。私は、史跡のテーマパークのようなヒヴァが一番気に入りました。

  サマルカンドやブハラは、韓国人観光客が多かったのですが、ヒヴァでは、日本人観光客の方が多かったです。日本からは、成田から週に一本、タシュケントまで、ウズベキスタン航空による直行便が出ていますが、10月末までの限定です。観光シーズンの始まる来春になると、また直行便が再開されるかもしれません。

  なお、これらの世界遺産の都市は、世界各国から観光客が集まりますので、英語は、ある程度、通じます。

  ちなみに、サマルカンドの街を歩いていると、ときどき地元の人に「コンニチワ」と声をかけられることがありました。近年は、大半の国で「ニーハオ」と言われることが実に多いので、これは珍しいです。「埼玉で2年働いていた」という男性にも出会いました。概して親日で、親切な人が多いです。(在留ウズベキスタン人は5500人ほどで、主に留学生や技術実習生など。)




   (※)地名の表記はウズベク語と英語では違い、発音も異なる。日本語の表記の方が、ウズベク語の発音に忠実。Uzbekistanも、ウズベク語では”O’szbekiston”。

 

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この記事の筆者

有元美津世

大学卒業後、外資系企業勤務を経て渡米。MBA取得後、16年にわたり日米企業間の戦略提携コンサルティング業を営む。社員採用の経験を基に経営者、採用者の視点で就活アドバイス。現在は投資家として、投資家希望者のメンタリングを通じ、資産形成、人生設計を視野に入れたキャリアアドバイスも提供。在米30年の後、東南アジアをノマド中。訪問した国は70ヵ国以上。
著書に『英文履歴書の書き方Ver.3.0』『面接の英語』『プレゼンの英語』『ビジネスに対応 英語でソーシャルメディア』『英語でTwitter!』(ジャパンタイムズ)、『ロジカル・イングリッシュ』(ダイヤモンド)、『英語でもっとSNS!どんどん書き込む英語表現』(語研)など30冊。

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