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スリランカ(4) - 民族対立2022.05.24


 先週5月18日は、スリランカでは、26年にわたった内戦(Civil War)の終結を記念する”Remembrance Day”でした。しかし、スリランカのメディアや多くの人々は、未だに、この日を”Victory Day”と呼んでいます。 タミル系民間人4万人を含む国民8~10万人が亡くなった日が、「なぜ”勝利”の日なのか?」と主にタミル系市民から反発があり、(マヒンダ・ラージャパクサが大統領でなくなった)2015年に、当時の大統領が、全犠牲者を追悼する日として名称を変更したのですが...

26年続いた内戦


 人口2200万人ほどのスリランカでは、仏教徒であるシンハラ系が75%ほどを占め、15%が主に北部と東部に住むタミル系(主にヒンズー教徒)、残りがイスラム教徒などから成ります。

 19世紀に、紅茶プランテーションなどで働く労働者として、イギリスはインド南部からタミル系を連れてきたのですが、紀元前からタミル系(Ceylon Tamil)はスリランカに居住していました。

 イギリスの植民地政府で官吏として重用されたタミル系は、シンハラ系から反感を買っていました(イギリスの少数派を優遇する分割統治が民族対立に火をつけたとも。マレーシアも同じ。)。

 1948年の独立後、植民地時代に公用語だった英語をシンハラ語に代え、タミル語は公用語として認めなかったり、タミル系に不利な大学入学制度を設けるなど、次々にシンハラ優遇政策が取り入れられました。その後、20年以上にわたり、与党や警察の主導で、タミル系を襲撃して民家を焼き払うなどの暴動が数々起こりました。

  そうした中、タミル系大学生を中心に独立運動が高まり、分離国家を築こうとしたのが、俗に「タミルタイガー」と呼ばれるLTTE(Liberation Tigers of Tamil Eelam)でした。(世界で初めて自爆テロを行なったのが、彼らだと言われ、ラジーヴ・ガンジー印首相も、LTTEの自爆テロで暗殺された。)

 1983年に、政府軍人13人がLTTEによって殺害された後、タミル系に対する大規模な暴動(Black July)が起こりました。当時の大統領は、暴動を鎮静化させるどころか、タミル系に対する暴力を煽るような発言をし、結局、誰も逮捕されることはありませんでした。この時期に、とくに医者や弁護士などの知的層のタミル系が海外に移住しました。

 このBlack Julyが引き金となって内戦が起こったのですが、とくにLTTEが降伏する前の数カ月は激戦となり、LTTEの兵士だけでなく、多くのタミル系一般市民が虐殺されました。病院を含み非戦闘地帯(No Fire Zone)も攻撃するなど戦争犯罪が報告されています。(投降したLTTEの兵士を軍が射殺している動画なども残っている。)未だに行方不明者も多数おり、2006~2007年には、スリランカは世界一失踪者の多い国となりました(今はイラクが世界一)。

 終戦後、30万人近くにおよぶタミル系が難民キャンプでの生活を余儀なくされていましたが、そこでの政府兵士による拉致やレイプ、殺害も報告されています(ネットに動画もあり)。

 

深い民族間の溝


 国連では、内戦で亡くなった人を8~10万人と推測していますが、正しい数は不明です。というのも、2008年に「安全を保証できないから」と国連職員をスリランカから撤退させ、終戦後も国連による調査を「内政干渉」としてマヒンダ大統領(当時)は拒んだのです。(当時のインタビューはネットにも掲載。)

 しかし、昨年、国連人権委員会では、内戦時に起きた国際犯罪の証拠を収集するための説明責任プロセスを新たに設置するという決議が採択されました。実は、これに対しても、ラージャパクサ政権による人権活動家らに対する脅迫や嫌がらせが報告されていました。なお、国連では、少年兵の強制徴兵、人間の盾としての民間人利用など、LTTE側の戦争犯罪も追及しています。

  内戦で、何十万人のタミル系がスリランカを離れたと言われており、彼らは移住先でタミル系に対する政府の責任追及を続けてきました。スリランカ移民が一番多いカナダでは、昨年、オンタリオ州政府が、5月2週目を「タミル系ジェノサイド教育週間」として制定しました。しかし、それに対し、シンハラ系カナダ市民団体が違憲として撤回を求めています。(海外のタミル系移民には、LTTEに資金を提供していた人もおり、シンハラ系には「LTTEシンパ」と見なされている。)

  同様の議論は、ネットコミュニティでも起きており、「なぜ軍ばかり糾弾するのか、LTTEだって悪者だ」「タミル系もシンハラ系も、過去は忘れて、一丸となって、今の危機に対処すべきだ」という声がシンハラ系からは上がっています。しかし、「シンハラ系が、そういうのは簡単だ」「目の前で家族がレイプされたり、虐殺されたりしてみろ」「LTTE幹部は殺されたが、戦争犯罪を犯した軍人は罪を問われていない」という人たちが、タミル系だけでなく、シンハラ系の若い層には出てきています。

 ちなみに、複数のタミル系民間人を殺害し、(例外的に)死刑宣告を受けた軍人にゴタバヤ現大統領は恩赦を与えています。

 また、未だに、北部や東部では軍が常駐して市民の行動を監視し、「テロリストのLTTEメンバーを弔うとは何事か?!」とタミル系が終戦記念日に犠牲者や行方不明者を追悼する行事を禁止しています(タミル系=LTTEメンバーという考え)。

和解と改革の機会に


 最近の経済危機に関するインドのメディアの取材に対し、タミル系国会議員が「2週間、停電や燃料不足が続いただけで、抗議デモをするって、北部からは笑いながら見てますよ。タミル系は、20年以上、停電や燃料、食糧不足を経験したんですから」と答えていましたが、ネットコミュニティでも、「シンハラ系も、これでやっとタミル系の苦しみがわかった?」「長年にわたってタミル系を虐げてきた政治家らが、今ではシンハラ系に対しても牙を向いたね」といった声が聞かれます。

 内戦といっても、実際に戦場となったのはタミル系の多い北部や東部で、南部に住むシンハラ系は、実際に戦争を体験していない人たちが多いのです。大半が、大本営発表のメディアを通じて内戦の情報を得ていました。

 過去を振り返ると、タミル系の虐殺に関わった政治家らの罪が糾弾されなかったどころか、彼らを選挙で選び続けて権力の座に居座らせ続けたことが、今の危機につながってしまったと言えるのではないでしょうか。

 今回の危機で、やっと「自分たちはロクでもない政治家を選んできた」という自覚がシンハラ系にも広がっています(未だに、ラージャパクサ一族を支持している人たちもいるけど)。先週の終戦記念日には、(過去13年で)初めて、主にシンハラ系の抗議デモ参加者たちが、仏教、ヒンズー教、キリスト教の聖職らと共に、タミル系犠牲者を含む内戦の犠牲者を追悼しました。

 今回の抗議デモの責任をタミル系やイスラム教徒になすりつけようとする試みも見られましたが、そうした政府の策略に惑わされることなく、政治が改革され、国家の危機を脱出できることを祈らずにはいられません。

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この記事の筆者

有元美津世

大学卒業後、外資系企業勤務を経て渡米。MBA取得後、16年にわたり日米企業間の戦略提携コンサルティング業を営む。社員採用の経験を基に経営者、採用者の視点で就活アドバイス。現在は投資家として、投資家希望者のメンタリングを通じ、資産形成、人生設計を視野に入れたキャリアアドバイスも提供。在米30年の後、東南アジアをノマド中。訪問した国は70ヵ国以上。
著書に『英文履歴書の書き方Ver.3.0』『面接の英語』『プレゼンの英語』『ビジネスに対応 英語でソーシャルメディア』『英語でTwitter!』(ジャパンタイムズ)、『ロジカル・イングリッシュ』(ダイヤモンド)、『英語でもっとSNS!どんどん書き込む英語表現』(語研)など30冊。

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