Global Career Guide
前回のコラムでは、日本で成功する外資系企業の多くは、ルールの定まっていないマーケットに進出し、大きな成果を挙げていることをお話しました。「ルールが定まっていない」というのは、潜在的なニーズはあるものの、まだ勝ち組といえるような企業が存在しないような未成熟市場のことをいいます。では、これ以外に外資系企業が好んで進出してく
「いやぁ、バレーボールなんて見るの、久しぶりだなぁ、どれどれ ……」 先日、TV でオリンピックのバレーボール最終予選を観戦しました。そういえば、バレーボールを見るのは久しぶりです。最後に見たのは …… と、記憶をたどると、現在解説者の大林素子さんが八王子実践で高校バレーに出ていたとき、もうかれこれ 20 年近く前のこ
私の横に座っている若手コンサルタント 2 名 ( ちなみに 20 代後半 )。何やら熱心に話しています。 A くん 「SCM の効率化を目指すなら、データは XML にして、DWH を構築、システム間の連携は STP にしたいよね。そう考えると、やっぱり ERP かな ?」 B くん 「最近は CRM だけじゃなくて、
外資系コンサルティング会社に転職して半年後、私は自ら希望して ERP 大手の S 社に出向することになりました。「自ら希望して …… 」とは言いながら、出向があまりにもカンタンに決まってしまったものですから、私はかなり拍子抜けしていました。 「外資系って、こんなにカンタンに人事を決めちゃうんだな。それにしても、明日から
無事外資系企業に転職したものの、周囲に英語を話す人しか存在しない環境に押し込められた私。日増しに鬱積していくストレスと戦う毎日でした。 入社当時の私の仕事は、金融機関におけるリスク管理システムの外部監査というものでした。簡単に言うと、顧客である金融機関が作ったシステムが、本当に設計書通りに作られているかどうかを外部の目
連載も 200 回を超えたということで、ここらで初心 ( ? ) に帰って、外資系企業に入社した当時のお話をしたいと思います。 私が日系の銀行を退職したのは、1997 年の 9 月末のことです。転職先である外資系コンサルティング会社に入社したのは、その年の 10 月 15 日。この空白の 2 週間、気分をリフレッシュす
みなさんもよくご存知の通り、先日、イラクで日本の民間人を対象にした拉致事件が発生、数日後に人質は解放されたものの、本件に関しては日本国内でも様々な議論を呼びました。議論の中心は、「無事開放されて良かった」という一方で、人質となった民間人は自分の意志 ( = 自己責任 ) でイラクに乗り込んだのだから、たとえ助からなかっ
みなさまのおかげを持ちまして、今回のコラムがちょうど 200 回目となりました。ワー、パチパチパチ ( 拍手 ! )。 このコラムは週 1 回の連載ですので、200 回ということは、早いもので足掛け 4 年ということになります。日本の銀行から外資系企業に転職して、早や 7 年が経過しました。外資系での仕事のやり方を覚え
「あーあ、どうしてこんなことまで自分でやんなきゃならないんだろうね、まったく ……」 外資系企業に転職して 7 年、幾度となく繰り返してきた言葉です。 「契約書 DB への登録とか、支払口座の変更だとか、こんなのはまとめてだれかがやってくれりゃいいのに ……」 ホントにその通り。しかし、これはおそらくどの外資系コンサル
( 前回の続き ) 久しぶりに H 部長と行った居酒屋でのこと。H 部長は私に対して、とんでもない言葉を発したのです。 H 部長 「タカシさん、うちの銀行を、辞めてくれませんか ?」 にゃ、にゃんですとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぉおおお ! 私は気が動転して、卒倒しそうになりました。「冗談