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キャリアデザインインタビュー(6) — タジキスタンでバレリーナ

キルギスの後、カザフスタンで2週間ほど過ごし、出国のためにアルマトイ(Almaty)の空港のカフェにいた時です。近くのテーブルに(服装からして)「現地の山ガールが二人いる」と思っていたら、なんと日本語、それも関西弁が聞こえてくるではありませんか。そこで「全然、日本人に見えないね」と話しかけたところ、2人は「今からタジキスタンに働きに行く」というのです。*

興味津々の私は、そこでインスタのアカウントを交換し、その後の現地での生活の様子を追わせていただいている次第です。

25歳で目指したバレリーナ

滋賀出身の日陽里ひよりさんは、今年9月から、タジキスタンの首都ドゥシャンベにある「アイニオペラ・バレエ国立劇場(Ayni Opera & Ballet Theater)」でバレリーナとして働いています。

5歳の頃からバレエを始め、バレリーナに憧れはあったものの、高校卒業後は大学の英語科に進みました。卒業後は、就職せずにアルバイトをかけもちし、子供にバレエを教えるために幼稚園で先生の助手として働くと同時に、マシンピラティス指導者の資格を取得してパーソナルトレーナーとしても働き、多忙な日々を過ごしていました。

その間、バレエも続けていたのですが、様々な仕事を経験する中で、「自分はいったい何をしたいのか」と自己分析をしたところ、「自分はバレリーナになりたいのだ」という結論に達したそうです。それは、2年前、25歳になる1ヵ月前のことです。

そう決めてから、バレエダンサーを目指す人のためのサポートサービスを受け、スキルアップに努めました。バレリーナとしての実績作りのために、コンクールへの参加を開始したのですが、それまでコンクールで入賞したことなどなかったのが、初めて入賞したそうです。

その後、日本国内のバレエ団に5ヵ月所属しましたが、研修生として研修費を払う立場だったそうで、日本では、たとえプロになったとしても、バレエだけで食べていける人はほんの一握りのようです。

そこで、幼稚園で働きながら、海外のバレエ団にも応募を開始し、英語の履歴書(CV)と動画を送る毎日が始まりました。しかし、その年、足首の手術をしてリハビリに数ヵ月かかったため、練習すらできない日々が続いたそうです。

やっとリハビリも終わり、今年2月に、初めて海外のオーディションを受けるために、ルーマニアやブルガリアを訪れることになりました。その後、タジキスタンの国立バレエ団に応募することになったのですが、通常、実際に先方に出向き、面接や実技をするところが、履歴書と動画の送付だけで合格し、今年6月末にタジキスタン行きが決まったのです。

タジキスタンでの生活

そして、9月に入ってタジキスタンに向かう途中、アルマトイの空港で私と遭遇したという次第です。

初めての海外生活で慣れない中、ドゥシャンベに到着後2週間で、片道7時間バスに揺られて、同国第2の都市ホジェンド(Khujand)に遠征公演に行っていたのは大変そうでした。

公演は月に数回で、レッスンとリハーサルをこなす毎日ですが、翌日のスケジュールが前日の夕方までわからないので、どこかに遊びに行くなどの計画が立てられないのには困るそうです。

給料は月数万円ですが、タジキスタンは物価が安いので、生活をしていくのは問題なさそうです。今年、一緒に入団した2人の日本人ダンサーとアパートをルームシェアしていますが、入居早々、ベッドのトコジラミ(bed bug)の洗礼を受けたのは大変そうでした。また、停電や断水がときどき起こるそうですが、新興国では珍しくないトラブルです。

現在、同バレエ団には、タジキスタン人やエジプト人のほか、日本人ダンサーが10人もいるそうです。中には時間を守らず、レッスンに現れないダンサーもいるため、監督(23歳の女性)が、真面目な日本人を気に入っているのが一因のようです。日本人ダンサーは勤勉かつ踊りもうまい点が気に入られ、どの国のバレエ団にも在籍しているとのことです。

監督や他のダンサーとのコミュニケーションは、主に簡単な英語やジェスチャー、翻訳アプリを交えて行なっているそうです。(次回、タジキスタンについて書きますが、公用語はタジク語とロシア語

日陽里さんはプロのバレリーナとして、経済的に自立するという目標を達成でき、満足しているとのことです。「29歳まで」と期限を決めていたそうですが、2年早く27歳で達成できたのですから。

タジキスタンでの契約は1年ですが、契約更新をして何年も働き続ける日本人ダンサーもおり、契約更新は可能のようです。タジキスタンで働き始めて、まだ1ヵ月半の日陽里さんですが、どんな場所でもバレリーナとして生きていけるスキルを身に付けることを目指しているそうです。

一見、「遅すぎるのでは?」と思われる25歳という年齢でバレリーナを目指し、その目標に向かって何をすべきかを明確にし、それをひとつひとつ戦略的に達成していく姿には、私も感服しました。日陽里さん自身、「いろいろな職を経験したのがよかった」とのことですが、自分が本当にやりたいことを見極めるためには、そうした過程も必要だったのではないでしょうか。私も、20代で進路に迷い、紆余曲折しましたが、とくに若いうちは、そういう時期があっていい、というより、あって当然です。

「自分は、もう20代後半だから、30超えたから」とあきらめるのではなく、本当にやりたいことに出会ったときには、年齢に関係なく、ぜひ挑戦してください。日陽里さんも、もし25歳でバレリーナになるのをあきらめていたら、絶対に後悔していたと思います。

なお、日陽里さんのインスタグラムのアカウント(@pyopyory)で、ドゥシャンベでの日々の様子がうかがえます。

* 関西、とくに大阪では見知らぬ人に声をかけるのは普通にある。これは海外ではあたり前。これが異常と思われる東京は国際標準から外れていると感じる。今後、海外で就職や留学しようという人は、日ごろから見知らぬ人と会話(small talk)することに慣れておいた方がいい。(ビシュケクのオシバザールで声をかけた相手が関西人だったら、もしかして、もっと話がはずんでいたかも)

<キャリアデザインインタビュー バックナンバー>

キャリアデザインインタビュー(1)─ 英語と夢に向かって安定職を去る
キャリアデザインインタビュー(2)─ 米留学、日本で就職後、米赴任
キャリアデザインインタビュー(3)─ 米大学卒業、日本で就職、転職、フリーに
キャリアデザインインタビュー(4)― ポスドクから企業勤務を経てフリーの翻訳者に
キャリアデザインインタビュー(5)― 40手前でベトナムで就職 

有元美津世

大学卒業後、外資系企業勤務を経て渡米。MBA取得後、16年にわたり日米企業間の戦略提携コンサルティング業を営む。社員採用の経験を基に経営者、採用者の視点で就活アドバイス。現在は投資家として、投資家希望者のメンタリングを通じ、資産形成、人生設計を視野に入れたキャリアアドバイスも提供。在米30年の後、東南アジアをノマド中。訪問した国は70ヵ国以上。
著書に『英文履歴書の書き方Ver.3.0』『面接の英語』『プレゼンの英語』『ビジネスに対応 英語でソーシャルメディア』『英語でTwitter!』(ジャパンタイムズ)、『ロジカル・イングリッシュ』(ダイヤモンド)、『英語でもっとSNS!どんどん書き込む英語表現』(語研)など30冊。

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