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横浜リサのもっと輝け!日本人女性

山あり谷ありのキャリア形成-女性が幹部になるまで (その4)2014.09.30

女性が幹部になるまでシリーズの今回は第4弾。今回にてシリーズ最後となりまする。第1弾では、働き始めたころの「自分の思っていたキャリアと違うぞ」経験について、第2弾ではニューヨーク本店での「座って見ているだけトレーニング」経験について、そして第3弾では、「26歳で、いきなり課長任命で途方に暮れまくった」経験について、つらつらと書いてきました。そして最後第4段ではその後の私について書いて〆とさせていただきます。さて、その後の私ですが・・・課長職をいくつか経験をさせていただいた後、更なるチャレンジがどういったものだったか?というと、単独のチームをみる課長職よりも大きい、複数のチームを任される部長職のようなポジションでした。

 

一度指導的立場につき、チームを任されることに慣れてくると、次はどれだけ大きいチームを管理出来るかってことになってくるわけですよ。課長職に慣れてくるということは、自分流のチーム管理方法などが確立されてくるということなんです。余談にはなりますが、英語ではチームの管理方法をmanagement styleと言い回したりします。「彼のmanagement styleはmicro management(細かいことを見て、口を出してくるタイプで、担当者レベルの問題でも解決できる上司)だよね」、とか「彼女のmanagement styleはmacro management(下にまかせて大きなところにしか口ださない、でも担当者レベルのことは把握しきれていないので担当者レベルの問題解決は苦手な上司)だよね」なんてふうに使います。それはさておき、そのmanagement styleが確立されてくる頃には複数のチームを任されるようになるんです。私の場合、どんな感じに複数に増えていったかというと、こんな感じです↓。

 

投信・投資顧問に異動した時の事・・・異動した当初はいつもどおり一つのチームを任されました。私ともう一人、総勢二人のこじんまりしたチーム。投信・投資顧問の仕事事態初めてだったので、そのくらいがちょうどいい!なんて思い、いつも通りルンルンで仕事を始めたわけです。しか~し!そんなルンルン気分も束の間・・・1年たったくらいの時でしょうか、突然、部長に呼ばれて、もう一つチームを見てもらえないか?と打診されました。今までの依頼とは違う。異動ではなくて、追加で見て欲しいという依頼・・・

 

外資系は即答が原則、その場でやるの?やらないの?と詰め寄られるので、深く考えずに「やります!」と返事した私。数分後には発表され、そして即日実施!気が付いたら二つのチームを見ることになっていた・・・・大丈夫?私?できるの二つ?せっかく確立した自分のmanagement styleも二つのチームに適応できるような、そうでもないような・・・・考えている暇はどこにもない!実践あるのみ!淡々と仕事をこなしていく私。

 

その半年後には、部長からまた新しいチームを見てくれとの依頼。ここで留まる?私?それとも進む?二つでも手一杯なのに、三つ目に行く?どうする???またまた深く考えずに「やります!」と返事した私。(あぁ~、聞かれると「やります!」って言っちゃうんだよね・・・私)

 

「追加依頼、即答、発表、即日実施、大変な私」このパターンが続くこと数回。結局3年で7つのチーム、部下50人を任されることになり、気がついたら業務部長職へ就任していました。それはそれはものすごいスピードで走らされて、自分でもよくわからないうちに、部長!ってなことに・・・投信・投資顧問に異動した当初、誰がこんなキャリアになると想像していたことでしょう?当の私だってそんな想像していませんでしたよ。晴れて、部長職についたのは、まだ40歳になったかならない頃。外資系金融で40歳部長はめずらしいことでもないのですが、女性で部長というのは珍しい時代でした。

 

想像をしてみてください。半年に一度ぐらい自分の責任範囲や部下の人数が倍増するんです。ものすごいスピードですよ。一つのチームの管理をしていた時のように、一人一人の仕事を覚えてチームメンバーに認めてもらおうなんて悠長なことは言っていられません。では私はいったいどうやって生き延びたんだろう?今振り返って考えてみると、考えずに聞かれた「やります!」って答えてしまう、Can Do Attitudeかなぁ。

 

“Yes, We Can!”ってオバマ氏が言って、大ブレイクした言葉ですよね?まさにこれがCan Do Attitude、つまり、できると信じること。どんな難題やチャレンジングな仕事を言われても、「できますよ」「やってみますよ」っていうポジティブ姿勢で答える。何度頼まれても「はい、やります」と即答していた私。「できるかな?」なんて不安に思うことも多々あったけど、その前に「やってみます!」って答えていた私。頼む方だって、私ができると思わなければ頼まないだろうから、それならばやってみよう!という姿勢がなんとか私をここまで生き延びさせてくれた勝因かと考えます。

 

得てして女性はステップアップしてみませんか?と聞かれると「え~、私なんてまだまだですぅ」と控えめに答える傾向にあるようです。新しい仕事の90%は既にできているのに、10%ができないがために、女性はできないと遠慮するらしい。それと比較して男性はというと、新しい仕事の10%でもできようものなら、自分はできるといって自ら立候補する傾向にあるらしい。この違いって大きいですよ。上司が頼むとき、新しい仕事の90%がすでにできる女性に頼んでも断られてしまうのと、新しい仕事が10%しかできないのに、立候補してくる男性。女性が昇格、昇進しないのも実はこんな風に女性自らチャンスを断っているケースもあるのかも?って時々感じます。

 

私はこの角度から見たら男性チックだったということでしょうか。。。上司がステップアップしてみない?と言ってきて、「できません」って答えたことがありませんから。私の場合は、「できるか」、「できないか」を考えるよりも、どうやったらできるかを考えるタイプだったんです。きっとそれが良かったんだと思います。まずはやってみよう、やってみて本当にできなかったらその時はできないって言おうって楽天派ってことが良かったみたい・・・そうそう、「石橋渡ってから壊れていたことに気がつく」タイプ・・・(笑)

まぁ、とにかくなんやかんや色んな仕事をさせていただき、山もあり谷もあり、そのたびに難題をクリアしながら私のキャリアは作られてきたわけです。こんな経験話が少しでもみなさんの勇気づけになってもらえたら嬉し限りです。まずはやってみよう”Yes, you can!”

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この記事の筆者

横浜 リサ

某米国リベラルアーツ大学卒業後、某外資系金融にて、業務畑で20年以上勤める。入社4年目にして管理職に抜擢されてからは、管理職道まっしぐら、日本・NY・アジアでのビジネス経験を持つ。「脱サラして、起業!」という思いをひっそり暖めており、リーマンショック時を機に、香港で自身の会社経営を実現。4年間の起業人生活の後、「50代の金融復帰・転職なんてまず無理でしょう!」と言われているこのご時世に、畑を飛び越えて(業務畑からコンプライアンス畑に)めでたく転職を成功させた珍しい人種でもある。中学3年で親の仕事の関係上、初めて海外デビューをした頃まったく話せなかった英語が今では日本語よりも得意になるほど。休日は山歩きを楽しむどこにでもいる山おばさん(山ガールと言いたいとこだが。。。)。七転び八起きをモットーに、2児のシングルマザーとして家庭と管理職の両立をしながら、女性が女性らしく働けるようリアルな現場を暴露、管理職道ノウハウを発信中。

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