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横浜リサのもっと輝け!日本人女性

山あり谷ありのキャリア形成-女性が幹部になるまで (その1)2014.07.29

    今回コラムを書かせていただくことになった目的には私のドタバタキャリア形成劇をシェアすることで、少しでも多くの働く女性にお役にたてればと思ったのがひとつ。しょうもない経験からこんな考え方をしていたんだ!と思っていただける(?)ものまで、つらつらと書いてみようと思っています。どうぞお付き合いくださいませ。

    正直、女性が幹部になるっていうことは難しい

    ましてや私のようにやっとこさ男女雇用均等法ができた頃に就職した者たちにとって、女性が責任ある仕事をさせてもらうのは至難の技・・・そんな中、私はいったいどうやって幹部になれたんだ???最初の山場はサラリーマンになって1-2年目に起きました。。

    アメリカの某リベラルアーツ大学を卒業して、就職先を考えた私・・・周りは大学院に進んで、医者や弁護士を目指している人、広告やジャーナリズムに進む人、または、金融に進む人が多かった。これ以上勉強はいやだ!、英語が不十分なのに、言葉で勝負するのは無理!と考えた私は、数字ならなんとかなるのでは?と考え、金融を選ぶことに・・・いろんな会社と面接するものの、見事にすべて不合格!アメリカでの就職はあきらめ、日本に舞い戻ってきました。

    その頃の日本はちょうど男女雇用均等法が施行され、なんとなくバブルの匂いが漂い始めていた・・・日本の会社を受けに行ったものの、全員がリクルートスーツの中、一人真白のスーツを着て目立ちまくり、こりゃ日本の会社では働けない!と確信して外資系金融のドアを叩くことに・・・しかし、社会はあまくなかった・・・外資系といえども、やはり女性にはなかなか門は開かない。“女性の来るくるところじゃない”とか、“悪いことは言わない、他を探したら?”、などなど正面きって言われること何度も・・・ハァ~、私は就職できるのであろうか???

    そんな中、某アメリカ系証券会社のオペレーションで面接することが叶い、やっとのことで就職が決定!その頃の某アメリカ系証券会社のバックオフィスは(どこの外資系もそうだったかもしれませんが)、猫の手でも借りたいほどの人材不足!毎週新しい人が入ってくるくらいものすごい勢いで中途採用をしていました。かくたる私も、めでたく入社!やっとスタート地点に立てたわけであります!

    しかし!忙しい外資系は誰も何も教えてくれません。あれれ?このままでいいの?なんて思っていたら、入社して2週間後に異動!当時のChief Operating Officerがアメリカ人で、英語の話せる秘書が欲しいと言い始め、私が抜擢!されたのです。

    うれしい?いえいえ、まったくもってノー!アメリカで苦労して、4年制大学へ行ったのに、なんで秘書なんだ??(誤解のないようにお御断りしておきますが、秘書という仕事が、私の求めていたキャリアではなかったということです。)友人に相談したところ、「石の上にも3年」となだめられ、結局、頑張ることに。。。。ものすご~くつまらない日々をすごし、気持ちが萎えていく毎日・・・これほどつらい時はなかったです。自主的に勉強のため、大量に出入りする書類に目を通して見るものの、何が書いてあるのか、ちんぷんかんぷん。。。このままでいいのか??

    そこで、私はボスに直訴してみた。

    「なんでもいいから教えてください。仕事をください!」

    ボスは忙しい人だったので、彼自身が教える時間はない。しかし、ボスは考えてくれました。なんと、プロジェクトチームで忙しいRさんを手伝うように仰せつかったのです!!!

    そこからはしばらくはバラ色の人生でした。Rさんの元でいろんな分析をやらせてもらったり、この頃ではまだめずらしいエクセル(というかその頃はまだLotsu1-2-3でしたが・・)をいじらせてもらったり・・・仕事が楽しくてしょうがなかったです。あの時勇気を出してボスに相談してみてよかった!何がやりたいとかはわからなかった分らなかったけれども、でも何かがしたい!という気持ちをぶつけてみてよかった。

    そしてなんと、これを機会に私は次なるチャンスを手にいれたのです。それが2年間のニューヨークでのマネジメント・トレーニング!Rさんが推薦してくださったのです!キャリアの第2の山場!に突入!でもそこでも困難を経験してしまう私・・・どんなことがあったのかはまたいつかお話しますね。

    次回につづく・・

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    この記事の筆者

    横浜 リサ

    某米国リベラルアーツ大学卒業後、某外資系金融にて、業務畑で20年以上勤める。入社4年目にして管理職に抜擢されてからは、管理職道まっしぐら、日本・NY・アジアでのビジネス経験を持つ。「脱サラして、起業!」という思いをひっそり暖めており、リーマンショック時を機に、香港で自身の会社経営を実現。4年間の起業人生活の後、「50代の金融復帰・転職なんてまず無理でしょう!」と言われているこのご時世に、畑を飛び越えて(業務畑からコンプライアンス畑に)めでたく転職を成功させた珍しい人種でもある。中学3年で親の仕事の関係上、初めて海外デビューをした頃まったく話せなかった英語が今では日本語よりも得意になるほど。休日は山歩きを楽しむどこにでもいる山おばさん(山ガールと言いたいとこだが。。。)。七転び八起きをモットーに、2児のシングルマザーとして家庭と管理職の両立をしながら、女性が女性らしく働けるようリアルな現場を暴露、管理職道ノウハウを発信中。

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