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タカシの外資系物語

ちょっと番外編・・・、“自己責任”について2018.11.06

マスコミは何も語らない?!


(前回の続き) 今回のコラムは番外編として、少し気になる事件に関し、私なりの見解をお話ししたいと思います。やや雑感めいた話になりますが、ご勘弁ください・・・


先日、シリアの武装勢力に拘束された安田純平さんが解放されました。帰国後、安田さんは記者会見を開き、「ミスだった」「自業自得だった」と反省と悔恨の念を述べられました。また、「私の行動で日本政府が当事者となり申し訳ない」とも話されました(日本経済新聞より)。すごく真っ当なコメントだったので、内心ホッとしました。

 

安田さんの記者会見に先立ち、ネットを中心に、やれ自己責任だとか、やれ身代金は自分で払えとか、相当なバッシングが起こっていました。一方で、ジャーナリストとして紛争地帯に行くのは生来の かつ避けられないミッションなのであって、それを実行した彼は英雄なのである、という意見も存在しました。

 

言論の自由は、これを憲法で規定されていますので、基本的には何を言っても構わんのですが、このやりとりを見ていて、私はすごく違和感を持ちました。それは、新聞やTVといった主要マスメディアが、自己責任 or 英雄といった、極端な意見を紹介するだけで、常識的な見方というものを、ほとんど紹介したり、解説したりしていない、ということについてです。次代を担う世代の子供たちがこのニュースを見て、どのように感じるか? 大人はきちんと説明できるのか? その点がすごく引っかかっています。

 

物事の分別がつけば、自己責任は存在します。政府が危険だから行くな! と言っているのだから、行ってはいけない。例えば、危険な場所に囲いがあって、「この池、キケン!」と書いてある。どこかの子供がその囲いを乗り越えて、みんなに心配をかけた。この場合、その子供はこっぴどく怒られます。なぜか? それは、子供であっても「キケン」の意味がわかるからです。意味がわかる以上、自己責任が発生します。小学校における初等教育の意義は、自己責任を教えることにある、と言い換えてもいいと思います。

 

もしかしたら、この子供は、一部の子供たちから英雄扱いされるかもしれません。しかし、そのことと自分が冒したリスク、結果的にかかったコストとの費用対効果をはかって、これは割に合わない・・・ と学習するはずです。だから、二度と同様の過ちを冒さないようになるわけです。

国家が動くと何が起こるか?!


さて仮に、その子供が足を滑らせて池に落ち、溺れたとします。それを見ていた人はどうするか? 全力で助けると思います。周りの人の手に負えなければ、警察やレスキュー隊がやってきて、できうる限りのことを尽くして、助けるのです。なぜなら、国家は、国民を助けることを前提に成り立っているからです。ま、そんな大げさな言い回しをしなくても、周りに困っている人がいたら助けます。それが人間というものです。

 

少し論点を絞りましょう。人間としての、人道的な部分は横に置いて、国家が動くと何が起こるか? を考えてみます。政治家にしても、官僚にしても、警察や自衛隊にしても、国家が動けば、カネがかかります。安倍首相や、河野外務大臣、菅官房長官が動けば、背後では、その100倍以上の人が動いています。テロリストに払った身代金がいくらか? そもそも払ったか否か? なんてのは実は大した話ではなくて、裏ではそんなのが吹き飛ぶぐらいの人件費が、既にかかっています。警察などの国家を動かすということは、国民の血税を使うことを同義であると、子供に教える必要があります。

 

実はもっと重要なことがあって、この騒動のおかげで、もっと早く進捗する可能性があった法案や検討事項が、後回しにされています。例えば、新薬の承認に関する閣議決定が遅れたかもしれない。それによって、本来ならば救うことができた命を救えなかった可能性があります。行くなという場所に行って人質になったばかりに、間接的に、だれかを殺している可能性があるのです。

 

そういう観点からも、彼は英雄では決してない。自己責任でかかったコストを払えなんて言わないけど、厳密に計算したら、身代金以外にも、数十億円のコストがかかっています。それ以上に、他に苦しんでいる人を救うことができなかったかもしれない、つまり、多数の機会損失を起こしています。そういう背景を理解して猛省し、“次の行動”を起こす必要があるのです。

失敗を組織で共有する?!


“次の行動”とは何か? それは、自分の体験を、国民に伝えることです。うかつな行動をとった結果、自分がどれほどの恐怖を味わったか。救ってもらうために、国家がどれほどの代償を払ったか。それを国民に、特に、次世代を担う子供たちに伝える。自己責任を果たす、というのは、そういうアクションを指すのだと思います。

 

私が身を置く外資系企業は、非常にドライな世界です。1回でもミスを犯せば、即解雇となります。だから、コンプライアンスの線引き = OKとNGの境目 が明確に示されていて、社員はOKのライン内で、自己のパフォーマンスを最大限に発揮するよう努力します。

 

しかし、ときには、恣意的ではない過失を犯して、失敗することがあります。例えば、大規模プロジェクトの管理ミスで、プロジェクトの進捗が遅れ、多大な損失を発生させるようなことが、まれに起こります。トラブルが収束した後、多くの場合、その責任者は会社を去ることになりますが、実は裏側で、外資系企業は、その責任者にあるオファーを出しています。

 

そのオファーとは、

 

自分が体験した失敗事例を、社内に伝える役割

 

です。いわば、失敗事例の伝道師となって、その経験と知識を、組織に蓄積していくという役割です。確かに、この役割はキツイ。自分の失敗を広めるわけですから、屈辱的でしょう。しかし、責任を果たすというのは、そういうことではないかと思うのです。

 

日本では、失敗を隠すというのが一般的です。しかし、それでは国家として強くなりません。そんなことをしているから、同じ過ちを何度も繰り返すのです。グローバル社会で生き残るために、今こそ、大きな失敗事例は社会全体で共有する、という発想が必要かな、と思います。

 

次回は、通常のコラムに戻ります。では!

(次回に続く)

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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