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タカシの外資系物語

外資における“自由”再々考( その 1 )2012.07.10

    尾崎豊の“自由”

    かつて、尾崎豊さんというアーティストがいました。1983年にデビューし、1992年に亡くなった、伝説のロック・シンガーです。私は、中学・高校とリアルタイムで聴いていましたし、彼の曲をコピーして、高校の文化祭で歌ったりもしていましたので、それはもう熱狂的なファンでした。初めてのスタジアム級のライブは、大阪球場(今はもう存在しない)で行われたのですが、その前売り券を買うために、期末テスト中にもかかわらず、徹夜で並んだのを覚えています。『卒業』『I Love You』『十七歳の地図』などの大ヒットもありますし、それらはスタンダードとして今でも聴かれているようですので、私より下の世代のみなさんでも、ファンの方は多数いらっしゃると思います。 


    尾崎豊さんの曲には、全編を貫くキーワードがあります。それは“自由”。学校・社会・制度といったものに窮屈さを感じ、「もっと思うように生きられないのか ? 」と苦しみ、もがき続ける・・・これが、彼の曲における典型的な構図です。彼が「10代の教祖」と呼ばれたのは、10代の若者が共通的に持つ思いをストレートに表現し、それに同調する人があまりにも多かったということでしょう。彼の歌には、若者を扇動する要素が多分にあり、私もそれに酔っていた様に思います。 


    その一方で、私は個人的に、彼の書く歌詞の一部に、違和感を覚えることがありました。例えば、『15の夜』という名曲の一節。 
    ・盗んだバイクで走り出す・・・ 
    ・覚えたてのタバコをふかし・・・ 


    どうして違和感を感じるのか ? それは、「法律違反(犯罪)を犯している」からです。この歌は15歳の少年を描いているのですが、「バイクを盗む」「無免許で乗る」「タバコを吸う」と、上記だけで3つの法律違反を犯しています。こんなことを言うと、尾崎ファンに殴られるかもしれませんが、法律は守らなきゃいかん ! 法律は守るという前提でないと、どんなにいいことを言っていても、だれも相手にしてくれんぞ ! そんなことを思いながら、尾崎さんの歌を聴いていたように思います。 

    金八Ⅱ・加藤優の“自由”

    そういう意味では、私が中学時代に放送していた『3年B組金八先生Ⅱ』は、少なくとも私にとっては、理にかなっていました。『金八Ⅱ』というのは、校内暴力をテーマとしたもので、「腐ったミカンの方程式」「卒業式前の暴力」など、今観てもウルウルくる名作が目白押しで、金八シリーズでも出色の出来だと思います(「よくわからん・・・(T-T)」という若者の方は、40代の上司に聞いてみてください。きっと盛り上がりますから)。 
    「卒業式前の暴力」編で、主役の加藤優("まさる"と読む)が、中学の校長や先生を放送室に拉致して対話する場面があります。その際に、彼の仲間だった不良学生たちが、後者の窓ガラスを割ったり、机を壊したりするのですが、それに対して、加藤はこう言います。 


    「騒ぎに乗じてモノを壊しているやつは、警察に引き渡してくれ。やっていいことと悪いことを教えてやってほしい・・・」 


    世の中には、法律をはじめとした“ルール”があって、それを守ることを前提にしないと、せっかくのいい行動が意味をなさなくなってしまう。“自由”というのは、“ルール”を守る前提において定義されるものだと思うのです。 
    ま、加藤優が校長先生を放送室に拉致すること自体が犯罪ではないかという説もありますが・・・。実際、ドラマの中で警察に逮捕されたのは、窓ガラスを割った不良学生ではなく、加藤自身でしたからね・・・世の中というのは、そういうもんですわな・・・ 

    “自由”の講義、その冒頭は ?!

    これまで、このコラムにおいて、“自由” について何度か考えてきました(No.106 「『自由』の中の『責任』」、No.201 「『自由』の中の『責任』 − イラク人質事件に思う」、No.540 「外資における“自由”雑感」等、参照のこと)。今回も、このテーマを深堀りしてみたいと思います。 


    作家の曽野綾子さんが『人間の基本』(新潮新書)の中で、興味深いエピソードを紹介しています。

    「アメリカの大学には“自由”をテーマにした講義があるが、その冒頭は、“ルール”“制約”から始まる・・・」 


    でしょ ? 上述の通り、私にとっての“自由”とは、“ルール”“制約”を前提にしています。アメリカの大学の講義通り。“ルール”“制約”がない中で勝手気ままに振舞うことは、単なる“無秩序”であって“自由”でも何でもないのです。 


    「外資系企業は“自由”でいいよね」 と、よく言われます。それは否定しません。しかし、「“自由”でいいよね」と言っている人の多くは、どちらかというと、勝手気ままの“自由” ≒ “無秩序”という意味で、“自由”を捉えていることが多い。それは大きな誤解です。外資系企業の“自由”とは、厳格な“ルール”“制約”を前提にしています。だから、考えようによっちゃ、非常に堅苦しいのです。外資に転職して、思うような成果が上げられない人の多くは、外資における“自由”を理解していない人が多い。「外資って、何て窮屈な組織なんだ。これでは、俺のパフォーマンスが発揮できない・・・」“自由”の本質を理解せずに、早々に辞めてしまう人が、何と多いことか ! 非常にもったいないことだと思います。 


    幸いにも、私は外資的発想に合致した“自由”を理解していました。だから、長持ちしているように思います。では、「外資的発想に合致した“自由”を理解して行動する」とは、具体的に、どういうことなのでしょうか。次回のコラムでは、具体例を交えて、外資的“自由”を説明したいと思います。 
    (次回に続く) 

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    この記事の筆者

    奈良タカシ

    1968年7月 奈良県生まれ。

    大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

    みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
    出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
    結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

    書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
    奈良タカシ

    「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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