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タカシの外資系物語

女性のキャリア戦略-R 子さんの場合 ( その 2 )2009.06.30

昇進失敗 を "転機" とする

前回の続き) バリバリの外国為替ディーラーとして活躍し、周囲の憧れの的だった R 子さん。産休後、ロンドンから日本に復帰するやいなや、私がいるシステム部に配属されました。

 

システム部課長 「 R 子さんをわがチームに迎えることになったので、よろしく ! 」
R子さん 「心機一転、頑張りますので、よろしくお願いしまーーす ! 」 
・・・ うぅーむ、どうも解せないねぇ。なぜ、ディーラーじゃなくて、システム部なんだろう ?
前回もお話した通り、 R子さんは外国為替ディーラーとして、業界でも有名な存在でした。ロンドンから日本に戻る際にも、人事部に言えば、ディーラーとして復帰できたはず。なのに、なぜシステム部 ?


私 「 R 子さん、ちょっとお聞きしたいことが・・・」
R子さん 「何よ ? 」
私 「どうして、ディーラーじゃなくて、システム部なんですか ? 」
R子さん 「もう飽きたのよ ! 」
私 「なんちゅう、理由やねん・・・ 」
R子さん 「うそうそ、実はね・・・ 」

 

彼女はロンドン赴任時代に半年間、産休をとったのですが、そのことが原因で 「調査役」 に昇進できなかったのです ( 「調査役」 というのは、一般企業で言えば、係長クラスでしょうか。銀行独特の役職名です)。当時の銀行では、どんなに仕事ができて活躍していても、産休や病欠などがあると、昇進できないケースが多かったように思います (今でもそうかもしれません) 。いわゆる 「減点主義」 というやつです。
あと、 「女性」 という点も、理由の 1 つかもしれません。銀行業界というのは、典型的な 「男性優位社会」 なので、女性が昇進しにくいのは確か。だから、いつまでたってもダメなのですが・・・


R子さん 「○○銀行の R 子、外国為替ディーラーの R 子・・・ では、もうこれ以上の飛躍はないと思ってね。やっぱ、これからは “IT” でしょ ? だから、システム部に異動願いを出したのよ ! 」

これからは "IT" でしょ ?

「やっぱ、これからは “IT” でしょ ? 」

 

この弁には、それなりの説得力があります。私自身もそう思っていたし・・・。 しかし ! R子さんには、致命的な弱点があるのです。それは、「システム開発に向いていない ! 」 ということ。極めて短気、論理より情緒、キーボード大嫌い、食いしん坊(これは関係ない) ・・・ システム部に不向きな兆候が、いたるところに見られたのです。


私 「システム部って、退屈ですよ・・・」
R子さん 「いいわよ、毎日早く帰るから」
私 「いやいや、その一方でわけのわからない残業も多いし・・・ いろいろと勉強しなきゃいけないことも多いし・・・」
R子さん 「だから、あなたのいる課に配属してもらったんじゃない ! 」
私 「・・・ん ? 」
R子さん 「他の人に、いろいろ聞くの、申し訳ないじゃない。でも、タカシくんなら、気を遣わなくていいかな、と思って・・・ ね ? 」
私 「は、はぁ・・・(こりゃ参った・・・)」


当初、システム部での R 子さんは、予想通り、かなり苦戦を強いられているようでした。華やかなディーラーの世界と比較すると、システム部というのは、言われた通りできて当たり前という地道な世界。あくまでも縁の下の力持ちです。来る日も来る日も成果が見えない中で、 R 子さんのフラストレーションはかなりのレベルに達していたように思います。

 

しかし、彼女はくじけなかった。そして、強かった。少しでも疑問点があれば、私や他の後輩をつかまえて、質問していました。「忙しいのに、ホント、ごめんね ! 今度、おごるから ! 」
そして、彼女の一番すごいところは、いつも笑顔を絶やさなかった、ということでしょう。システム部というのは、どちらかというと、暗い。なぜだかわからないが、暗い。その中で、ほとんど戦力になっていない彼女がいつもニコニコしていると、不思議なことに、部長や課長をはじめ、他の部員の顔まで和やかになってくるのです。

約束を果たすとき

R 子さんがシステム部にやってきて、ちょうど 1 年後。私は 「社内公募制度」 を利用して、ディーリング部門に異動することになりました。後から聞いた話では、この制度への応募者が非常に多く、私は当落線上にいたらしいのですが、 R 子さんがディーリング部門の役員に対して、 「タカシくんなら大丈夫。私が責任持ちます ! 」 と言ってくれたそうです。ええ話や、泣ける・・・(T-T)
一方のR子さんも、すっかりシステム開発に慣れ、複数の開発案件を取り仕切るまでになっていました。


さて、それから 2 年後、私は銀行を辞め、外資系コンサルティング会社に転職しました。 R 子さんも、私が転職して半年くらい後に、外資系メーカーのシステム部門に転職したとの噂を耳にしました。
そして、先日の再会。

 

R 子さん 「気が向いたら、また連絡ちょうだい ! はい、これ名刺 !  じゃねー !! 」
―――  ××システムサービス 執行役員 システム部長 ○○ R 子
システムの 「シ」 の字も知らなかった R 子さんが、いまや外資系企業のシステム部長、それも役員ですから。人の人生というのは、本当にどう転ぶかわからないものです。


R 子さんが成功した理由は何でしょう ? まず、自分のキャリアに固執しなかったことが挙げられるように思います。昇進できなかったとはいえ、彼女はディーラーとしては業界でも有名な存在でした。そのまま、ディーラーとして、外資系金融機関に転職することも可能だったと思います。しかし、そうはしなかった。自分が最大限に活きる業界は、ディーリングではなく IT だと見抜いた先見性は、まさに脱帽だと思います。


次に、彼女は新天地で、わからないことを私に質問しまくります。実は、特定のキャリアに固執してしまう人の多くが、「一から新しいことを覚えるのが嫌だ、今さら若い連中に質問できない」という理由で、キャリアチェンジを拒みます。確かに、ある分野でそれなりの地位に上り詰めた人が、全く白紙の世界に行くのは、辛いし怖い。しかし、これを拒んでいては、新しい自分を開拓することなどできません。特に、男性にこの傾向が強いように思います。
そして最後に、いつも笑顔を絶やさなかったこと。これは、日系・外資系、いかなる業界問わず、普遍的な成功要因ではないかと思います。


R 子さんと再会した日の夜、私は早速、メールを出しました。
「 R 子さん、本当にご無沙汰しています。・・・ あ、そうそう ! 以前、R子さんからよく、『今度、おごるから ! 』 と言われていたように思うのですが、未だにご馳走になっていません。私はいつでも準備 OK ですので、よろしく ! 」 

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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