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タカシの外資系物語

外資の “辞任表明演説” ( その 2 )2007.09.25

画期的な打開策 ?

前回の続き ) 5 年ぐらい前、前職時代のこと。トラブル・プロジェクトの対応について相談するために、私を含めたリーダー格 4 名は、社長に呼び出されていました。


社長 「いろいろ、考えてみたんだが … B 社のシステムを持ってきてはどうかと思うんだが、どうだろうな ? 」


実をいうと、われわれの会社は、現在トラブルを引き起こしている A 社と同業の B 社から、同様のシステム構築を請け負ったことがありました。なので、そのときに作ったシステムを A 社に適用することができれば、これほど楽なことはありません。


しかし、ことはそう簡単でもないのです。 A 社と B 社は強烈なライバル関係にありまして、 A 社は何かにつけて「打倒、 B 社 ! 」というスローガンを掲げていました。われわれも、そんな A 社の風潮に乗って、「 B 社を超えるシステムを作りましょう ! 」と提案したという事実があります。それを今になって、「 B 社のお下がりを使いましょう ! 」などとは、口が裂けても言えません。


カズノリ 「社長、今さらそれを持ち出すのは、かなり厳しいのではないかと思うんですが … 」


トシユキ 「そんなこと、できるわけないじゃん … 」


イチロー 「いや、 A 社もこのままじゃどうにもならないことぐらいわかっているはず。 B 社のお下がりを使う提案は、案外受け入れられるかも … 」


社長 「タカシはどうなんだ ? 」


タカシ 「私はむしろ、メンバーのモチベーションが心配です。すでに何人も倒れているし、やるならやるで、すぐにやった方がいいかと思います」


社長 「うむ、わかった。では、 B 社のシステムを適用するという提案の準備を始めてくれ。チーム構成も変えざるをえないな … カズノリ、提案を持っていく上で、『けじめ』 をつけないといかんだろうから、それについても検討してくれよ」


カズノリ 「は、はい … 」

『けじめ』 のつけ方

社長の言う 『けじめ』 とは何か ? それは、リーダー格の入れ替え人事のことを指しています。プロジェクトの方法を大胆に変更しませんかという提案をするからには、リーダーを総入れ替えするぐらいの覚悟で臨む必要があります。またクライアント側も、以前と同じ顔ぶれのリーダーのまま、プロジェクトをやり直すことを承認するわけにはいかないでしょう。


私を含めたリーダー格 4 名のうち、だれを残して、だれをクビにするかということについては、わりとすんなり決まりました。 PM のカズノリはプロジェクトのトップということで、責任を取って退任。トシユキは、 B 社のシステムを持ってくるという案そのものに強硬に反対し続けていたので、自ら退任。逆に、その案を積極的に推進していたイチローは留任しました。そして、私は … 退任することにしました。「 B 社を超えるシステムを作りましょう ! 」という提案は、そもそも私が考え出したものです。 A 社独自のシステムを作ることに関する急先鋒だった私が、うまく進みそうにないからと言って、 B 社のシステムを使う案を持ち出して、さらにリーダーを続けるわけにはいかなかったのです。


そういった事情に加えて、体力的にも限界に達していました。この数ヶ月の間、まともに睡眠が取れず、また過度のストレスが加わって、私は満足に歩くこともできない状況に陥っていました。朝出勤するときも、最寄りの駅から A 社までは歩いて 10 分程度なのですが、その距離が歩けないのです。仕方ないので、移動はすべてタクシーを使っていました。それほど体調は最悪でした …。


B 社のシステムを適用するという「新提案」がまとまりかけた頃、私はチームメンバー 40 名を集めて、ミーティングを実施することにしました。目的は、私がリーダーを辞任することについて、メンバーのみんなに伝えるためです。


新提案は、内部メンバーにも極秘にまとめていたのですが、その内容についてはどこからか漏れていたようでした。私の心配は的中し、メンバーのモチベーションはガタガタになっていました。「 B 社のシステム持って来るんなら、あんな苦労することなかったじゃん … 」 周囲にわざと聞こえるように、不平不満を口にする者もいました。そんな中、私は「辞任表明演説」を行ったのです。


「すでにみなさんの耳には入っているかもしれないけど、このプロジェクトは、新しい体制のもとで、新しいやり方を採用することになりました。新しい体制においては、私ではなく、新しいリーダーを迎えることになります。戸惑う部分もあるかと思いますが、みなさんはクライアントのために、新体制においても引き続き、頑張ってください … 」

リーダーが去るとき

実はこれ以上、何を話したか覚えていません。覚えているのは、数日前まで一緒に苦労をともに分かち合ってきたメンバーの目の色が、明らかに違っていたこと。裏切り者を見るような、落伍者を見るような、そんな蔑んだ眼差し。 ま、仕方ないか … リーダーとして、チームのみんなを守る事ができなかったんだから。


「辞任表明演説」を終えた私は、数日の間、体力回復のために入院しました。ベッドの上でいろいろと考えたのですが、結論は「退職する」ということでした。もちろん、このままでは終われない、という気持ちも強かったのですが、メンバーのあの眼差しを思い返すとき、もはやこの会社で仕事を続けていく自信は消え失せていました。会社と自分の方向性も合わなくなっていたこともあり、退院後、私はその足で、社長のもとに行き、辞表を提出しました。社長は、「やっぱりそうなるか … 仕方ないかな … 」とブツブツ言っていましたが、私を引きとめようとはしませんでした。


プロジェクトを離れたリーダー格のうち、トシユキは私と同じタイミングで、退職しました。「もう、コンサルなんてコリゴリだね ! 」と言い放って辞めたトシユキ。今は連絡が取れなくなっています。 PM のカズノリは、今も同じ会社で頑張っています。そして私は、同業他社に転職し、現在に至るというわけです。


さて、残念なことに、私はこの経験から、これといった教訓を得ていません。確かに、細かいことを言い出せば、ああすれば良かったとか、こうした方が良かったということは山ほどあります。しかし、大きな流れの中においては、だれがリーダーをやっても、結局は同じ結果になったような気もします。タイミングや外部環境の問題もありますからね。逆にいうと、リーダーとして 1 度や 2 度失敗したからといって、凹みすぎないことも重要だという気がします。もしチャンスがもらえるなら、何度でも挑戦すればいいのです。リーダーはすごく孤独ですが、チームや組織がうまく回ったときには、これほどやりがいのある仕事はありません。メンバーの活き活きとした目や笑顔を、自分が演出しているのだと実感できること、これこそ、リーダーの醍醐味だと思います。


ある日のこと、「 A 社、新システム稼動 ! 」という記事が、業界紙に出ていました。そこには、満面の笑みを浮かべた、 PM イチローの姿がありました。正直言って、少し悔しかったですが、でもうれしい気持ちの方が大きかったような気がします。


イチローからは、「あの場に、 4 人で一緒にいたかった … 」 というメールが届きました。私は、「リーダー・イチローがみんなを導いたのです、リーダーとして、胸を張ってください ! 」 と返したように記憶しています。それは、私が「辞任表明演説」を行った、ちょうど 2 年後のことでした。

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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