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タカシの外資系物語

小学校で英語を学ぶこと2006.06.06

小学校で英語必修化 ?

外国人の同僚 A  「ペラペラペラペラペラペラペラペラペラ、ペラペラペラペラペラ」


ボス 「Uhhuh ・・・ ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ、Takashi, it’s OK? 」


私 「アッ、オ、オーケー ・・・ 」


( ちっくしょう、また英語で丸め込まれちゃったよ ・・・ トホホ ・・・ )


以前からお話している通り、私は外資系企業に勤めていながら、英語がそれほど流暢ではありません。最低限の意思疎通は何とかできるものの、ネイティブ同士の会話に入ってしまうと、自分の言いたいことの半分も言えずに、その場が終わってしまうことも日常茶飯事です。 
私 「あーーあ、小さい頃からもっと英語を勉強しておけばよかったなぁ ・・・ 」


さて、少し前のことになりますが、中央教育審議会という機関が、小学校での英語の必修化を求めた報告をまとめました。それは、小学校高学年で平均週 1 回の英語教育を行うよう提言するもので、早ければ 2008 年にも実施の見通しとのことです。報告書には、グローバル化が進展するなか、中学・高校での英語学習の素地をつくる必要があるため、小学校での英語必修化の検討が必要だとしています。


小学校で英語を勉強することについての可否は、これまでも幾度となく繰り返されてきました。そのたびに、教員のスキル不足だとか、塾へ行く子供が加速するだとか、わけのわからない理由で先送りされてきた経緯があります。しかし今回の方針はこれまでのものとは異なり、政府も本腰を入れている、すなわち、それなりの予算をかけてでもやろうとしているようで、期待できるのではないかと思っています。


一方で、反対派も依然としてかなり多くいるようです。反対派の中には、「小学校時代は、英語をやるよりももっと国語の学力をつけるべき ! 」などと言っています。最近、これと同じような主旨の本がベストセラーになったことも大きく影響しているようです。


しかし私は、幼い頃から英語を学ぶことについては大賛成です。今回のコラムでは、外資系企業の社員という観点から、その理由を述べたいと思います。

幼い頃から英語を学ぶ理由

私が、英語は幼い頃から学んだ方がいいという 1 つの理由は、「英語は学問ではなく、言語だから」です。本来、言語というものは、コミュニケーションの手段であって、テストで点数化するようなものではありません。コミュニケーションというのは、「相手の言っていることがわかる」「自分の言いたいことを伝えることができる」ということです。論理的・効率的かつ正しい文法で話ができるかどうかという点も重要ですが、言語を使ったコミュニケーションという意味では、まずは「わかる」「伝える」ということが大事なのです。


しかし日本の教育制度においては、中学以降は期末テストや入学試験など、「正しさ」に重点を置いた教育がなされてしまいます。コミュニケーションにおいては、文法やスペルが多少間違っていようが大した話ではないにもかかわらず、そのどうでもいいことにのみに心血を注ぐような勉強にならざるをえないのです。


一方、小学校の授業というのは、中学以降ほどテストなどの点数を重視しているわけではありません。文法やスペルは不十分でも構わないから、とにかく相手の言っていることを理解しよう、自分の言いたいことを話してみよう、という言語本来の学習スタイルを違和感なく取り入れることが可能なのだと思います。


もう 1 つの理由は、「慣れ」です。算数や理科といった教科には、ある程度の才能が必要です。しかし、英語などの言語には才能はほとんど関係ありません。英語圏に生まれた人の中で、「オレは算数や理科が苦手で ・・・ 」という人はいますが、「オレは英語が苦手で ・・・ トホホ ・・・ 」という人はまずいません。なぜなら、言語というのは慣れればだれでもできるからです。


慣れが重要ならば、できるだけ早い段階で取り組み、使う回数を増やすことが必須です。よって、小学校から始めたほうがいいのです。

国語か ? 英語か ?

英語はもはや世界共通言語となり、ビジネス社会だけでなく、私たちの日常生活にも深く入り込んできています。その一方で、ほとんどの日本人は英語ができません。なぜか ? 勉強する時間が少ないからです。ここでいう「時間」というのは、コミュニケーション・スキルとしての言語を習得するために最低限必要な時間という意味です。現状が最低限以下なのだから、他の何か (= 既存の英語以外の教科に対する勉強時間 ) を削ってでも増やすしかありません。


「小学校から英語を始めることによって、国語の学習がおろそかにならないか」と不安がる向きもあります。日本人にとって最も重要なのは、祖国の言語としての日本語であり、国語を減らして英語を増やすなんざ、言語道断 ! という意見です。


私はこの意見についても否定はしません。日本人なんだから国語が重要というのは、そりゃその通りです。夏目漱石や川端康成、枕草子などの古典文学に関する知識を増やすことは、日本人にとって必要なことです。しかし、そのことと英語をもっと勉強しようということは、違う次元の話です。日本の文学に触れる機会が少ないのなら、減らされた時間の中で密度を増やせばいい。慣れ親しんだ日本語の世界なのですから、そこのところは教師の力量でなんとでもなる話です。


もっと現実的な話をしましょう。例えばここに、英語はできないが日本文学についてものすごい知識を持った人と、日本文学は必要最低限の知識しかないが英語がそれなりにできる人がいたとしましょう。果たして、どちらの人が自分の自己実現 ( ビジネスや自分の夢の達成という意味 ) を果たしやすいでしょうか。これは間違いなく後者でしょう。英語はコミュニケーションのツールなのですから、使えなければどうにもならない。一方で、日本文学を知ることも重要ですが、それをもって仕事などの自己実現を達成することは極めて困難な世の中であるということを、直視しなければならないのです。


これは偏見かもしれませんが、思想的な問題は別として、「日本語重視派」の大半は、極めて高学歴の人が多いように思います。そういう人は小さい頃から勉強が得意で、英語の習得にもそれほど時間がかからなかったのではないでしょうか。


しかし、私を含む世の中の大半の凡人にとって、日本社会で英語を習得することは、それこそ至難の業です。現状より事態を好転させるためには、国策でもって英語教育強化を取り組んでもらわないと、どうにもこうにもならないのです。そういう意味で、今回の教育審議会の報告は歓迎すべきだと思うのですが、みなさん、いかがでしょうかね ?


とは言うものの、ビジネス社会で日々英語と向き合っているわれわれが小学生時代に戻れるわけではありません。「教育制度が悪い ・・・ 」などと言っておきながら、結局は自分が勉強してこなかったツケが出ているだけという説もあり。ま、かく言う私もコツコツと、今日も通勤電車でヘッドフォンをつけて英語を聞いている毎日です。みなさん、お互いがんばっていきましょうね !

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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