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タカシの外資系物語

タカシ・就職活動の頃 ( その 1 )2004.11.04

就職活動、開始 !


キャッキャ、キャッキャ、ウッキー !


昼下がりの地下鉄大手町駅。大勢のビジネスマンが行きかう中に、いかにも似つかわしくない黄色い声。「白昼、大手町にサル出現か !」


見ると、真新しいリクルートスーツに身を包んだ女子大生と思しき 3 人組が何やら歓声を上げています ( おサルさんではありませんでした。失礼 …… )。


「あーーあ、今日もうまくいかなかったわ …… どうしようかしら …… 」


「でもさ、今日の人事の人って、なんか変じゃなかった ? 面接中も、もじもじしてさぁ …… どっちが面接してんのかわからないって感じ …… 」


「さ、ごはん食べにいこ。明日も面接あるんだから …… 」


どうやら就職活動をしている学生さんのようです。30 代以降の読者のみなさんは、「え ? この時期に就職活動 ? 」と思われるかもしれません。なんでも、最近は大学 3 年生の 10 月には、就職活動を開始するとのこと。そして長期間かけて企業を回り、来年の 4 月頃までには内定が出るというスケジュールのようです。

タカシの頃・1990


私の頃 ( 1991 年卒業。げっ ! 知らぬ間に卒業して 14 年もたっとるとは …… な、泣ける(T-T)…… ) の就職活動はどうだったかと言いますと、4 回生 ( 関西地方では、大学 4 年生のことを「4 回生」といいます。なぜだか知りませんが、「年」ではなくて「回」を使います ) になった頃から資料請求などの情報収集を開始し、GW 明けごろから各企業の「リクルーター」と会い始めます。「リクルーター」というのは人事部の担当者ではなくて、入社 1 年目から 3 年目ぐらいの若手社員のことを指します。リクルーターは大学毎にいて、学生はまず自分の大学の先輩にあたるリクルーターに会うことになります。


実は当時の私、就職するかどうか悩んでいました。理由は以下の通り。


( 1 ) 卒業のために必要な単位が取れそうになかったから

遊びほうけていたわけではないのです。当時、自宅近くの塾でバイトをしていたのですが、その仕事が面白くてのめりこんでしまい、ほとんど大学に行っていなかったのです ( まぁ、文系の学生はみな、同じようなもんでした。なんとか卒業だけはできましたけどね …… )。


( 2 ) やりたいことがなかった

正直言って、入りたい会社・やりたい仕事がなかったのです。大学でも、何か目標を持って勉強したわけではありません。本当は文学部に行きたかったのですが、「文学部なんて行ったら就職できなくなるぞ ! 」と高校の担任に言われ、あっさり経済学部を受験しているぐらいですから、ポリシーもへったくれもありません。文学部出身の方には何とも失礼な話なのですが、確かに文学部と比べれば、経済学部の方が「無難」に就職できる可能性が高いというのは事実かもしれません ( 私の場合は国語の教員免許を取ったりしましたので、結局文学部に入り浸ったりしたのですが …… )。 
  
大学のゼミでは、数理経済学というのを専攻していました。とは言うものの、これもゼミ選択の際に、じゃんけんで 6 回連続 ( ! ) 負けた結果、仕方なく入ったようなもんでして、特にやりたいことがあったわけではありません。ゼミの教授からは、「タカシさん、やりたいことが見つからないなら、大学院に残ればいいじゃないですか」と言ってもらってはいました。しかし、卒業の単位さえ取れないような学生が、大学院でまともにやっていくことなどできましょうか、オロロン ……(T-T)。勉強そのものは嫌いではなかったのですが、結局のところ、私は人並みに就職活動を開始せざるをえなかったのです。( 4 回生の 4 月中旬 )

志望企業なし ?


「まず、業界を決めよう !」 大学では ESS という英会話のサークルに入っていた ( 実は、幽霊部員 ) ので、英語を使う仕事がいいなと、漠然と考えました。


「英語っちゅうことは、商社だな …… よし、それで行こう。商社に決定 ! 」


なんちゅー適当な志望動機 …… でもまぁ、やる気を出しただけでもいいとしましょう。私は商社を中心に、資料請求のハガキを出すことにしました。


「げ、撃沈 …… こりゃアカン ……」


商社を中心に就職活動を開始して 1 ヶ月 ( 5 月中旬 )。いくつかの商社から色よい返事をもらったものの、いわゆる財閥系の上位商社の反応はイマイチです。それよりも何よりも、商社の面接は長い ! 回数が多い ! 内定までに、計 10 回程度の面接が必要とのこと。気の短い私は、先の見えない展開に、ややうんざりし始めていました。


また、商社独特の「雰囲気」にも、少し違和感を持っていました。会う人、会う人、なんだか自信たっぷりで、「うちの会社が世界一 ! 」みたいな感じの人ばかり。確かに自信なさげに自分の会社を説明する人よりはずっとマシなんですが、どうも私の控えめな ( ? ) キャラに合わないような気がします。「他の業界も受けてみるか ……」 私は商社志望の看板をひとまず下ろして、他の業界の説明会にも積極的に参加してみることにしました。


それから 1 ヶ月ほどの間、メーカー、広告、出版、流通 …… と、いろいろな会社のリクルーターと会ってみましたが、どうもしっくり来ません。「この会社面白そうだな」とか、「一緒に頑張りたいな」という気持ちが全く湧き上がってこないのです。なぜか ? それは今考えてみると、「会社を見ずに、リクルーターを見ていたから」だったような気がします。確かに、そもそも自分の志望企業や業界が不明確なまま就職活動を開始した私も悪いのですが、社会人経験のない学生なのですから、最初から志望企業なんて決まっていなくていいのです。就職活動を進めていく中で、いくらでも軌道修正することができますから。


しかし、軌道修正しながら志望企業を絞っていくにせよ、「企業を見る視点 = 何を基準に志望を固めるか」というのは重要です。自分なりの基準を持たずに就職活動を開始すると、結局は「リクルーターの人柄」が、その会社のすべてを具現化しているような錯覚に陥ってしまうわけです。つまり、自分のフィーリングに合うリクルーターと巡り合わない限り、その会社を好きになれなくなってしまいます。4 回生の 6 月もそろそろ終わる頃、1 つも内定をもらっていない私は途方に暮れていました。

学生の「品評会」


このとき、もし「外資系への就職」というのが私の選択肢にあったなら、事態は変わっていたかもしれません ( 実際には、当時新卒を採用している外資系企業はほとんどありませんでしたが)。私の知る限り、外資系企業では同じ大学の OB や OG を窓口とするようなリクルーター制度はありません。OB のツテを頼っていけば紹介ぐらいはしてくれるかもしれませんが、人事部につなげばそれで終わりでしょう。かつての日系企業のように、出身大学の受験者をいたれりつくせりで面倒を見るようなことはないのです。なぜなら、外資系企業では、たとえ入社 1 ~ 3 年目の新米であっても、自分の仕事を持っています。採用は人事担当者の仕事であって、それをいくら手伝ったところで、自分の評価にはつながりません。


一方で、日系企業におけるリクルーターは、採用期間中は自分の業務を離れて採用活動をします。「自分の出身大学から、どれだけ優秀な人材を持ってくることができるか ? 」 自分のお眼鏡にかなった学生を採用のラインに乗せることがリクルーターの仕事なのであって、それ以外の仕事はやる必要なし。東大出身者を何人採用できたか、有名ゼミの学生を引っ張ってくることができたか、要は学生の「品評会」をやって、その成果がリクルーターの評価となるわけです。


以前にもお話した通り、私は関西の田舎大学の出身です。このことを卑下しようなんて全く思っていないのですが、「品評会」となると、やっぱり立場は弱いのです。ササニシキやコシヒカリのようなブランド米には勝てません。

リクルーターらしからぬ男


「あーあ、なんかしっくりこないにゃー …… バイトでやってる塾にでもお世話になろうかなぁ …… 」少し補足しておくと、1991 年というのはバブルがはじける直前でして、就職戦線は学生側の「超売り手市場」でした。ですから、その気になれば、それなりの会社に入ることは簡単でした。しかし、私の場合はその気になれなかったので、就職活動の大詰めを迎えた 7 月になっても、1 つも内定をもらえないまま、宙ぶらりんに過ごしていました。


そんなある日、ゼミの先輩であるヒロユキさんから電話がありました。


ヒロユキ 「おー ! タカシ、久しぶりやんけ ( ベタベタの関西弁です )。どう、調子は ? 」


ヒロユキさんは、大手銀行に就職していました。ヒロユキさんもリクルーターだったのですが、私は彼の誘いを断っていました。「銀行員っちゅうのは、どう ? オレには合わん、合わん …… 」と考えていたからです。ヒロユキさんも、「タカシにその気がないんやったら、無理せんでもええわ。自分のことやねんから、じっくり考えたらええやん」と言ってくれていました。


タカシ 「あぁ、ヒロユキさん。どうもこうも、なかなか難しいもんですね ……」


ヒロユキ 「そうかー …… どう ? もしよかったら、明日昼飯でも ?」


タカシ 「いいですよ …… 」


ヒロユキ 「あ、それと、一応スーツ着てきてや。ほな、時間はまた連絡するわ」


タカシ 「は、はぁ …… 」


それは確か、7 月初旬の水曜だったと記憶しています。明日から 2 日間、ある場所に「軟禁」されて家に帰れなくなるとは、この段階では全く予想していませんでした。


( 次回に続く )

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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