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タカシの外資系物語

『自由』の中の『責任』 − イラク人質事件に思う2004.05.07

みなさんもよくご存知の通り、先日、イラクで日本の民間人を対象にした拉致事件が発生、数日後に人質は解放されたものの、本件に関しては日本国内でも様々な議論を呼びました。議論の中心は、「無事開放されて良かった」という一方で、人質となった民間人は自分の意志 ( = 自己責任 ) でイラクに乗り込んだのだから、たとえ助からなかったとしても仕方がない、政府や国民に負担をかけるのはおかしい、という意見が多かったということです。その結果、被害者家族に対して心ない誹謗・中傷があったりと、なんともやりきれない思いをされた方も多いのではと思います。そこで、今回のコラムでは、この事件に関する私なりの考え方をお話することにします。


この事件に関しては、いろいろな人が、いろいろな立場から意見を述べています。私も事件が経過する中で、自分なりにいろいろと考えてみたのですが、拉致されたみなさんに対しては「今回は何とか国が助けてくれたけど、本当は見捨てられても仕方ないんですよ ! 反省してくださいよ !」という感想を持っているというのが正直なところです。


今回のケースは、自衛隊の派遣問題があまりにもクローズアップされてしまったので、話がややこしくなってしまった部分があると思います。政府が自衛隊を派遣したことが、原因の全てであるかのように捉えられがちなのですが、そもそもイラクは戦争が終わって間もない、非常に不安定な地域です。政府が自衛隊を派遣するか否かにかかわらず、日本はアメリカの同盟国なのでから、それを理由に拉致される可能性は高いわけで、そんな場所に、加えてこの時期に、ボランティアとして行く必要があったのかというと少し疑問だと言わざるをえません。政府も退避勧告を出していたわけですから、わざわざそれに逆らって乗り込むこともないのでは、と思います。


一方で、人質になったみなさんが、ボランティアとしてイラク国民を救おうとしたことについては、評価されるべきだと思います。私だって、何の罪もないイラク国民が苦しんでいる姿を見るのは辛いですし、何とかしてやりたいと思います。しかし現実には、一般人がすぐに行動に移すのは難しいニいうジレンマもあります。今回のケースでは、自衛隊がわれわれ日本人の代表としてイラクの復興支援活動を行うことがわかっていました。自衛隊の活動と、人質になったみなさんがやろうとした活動は、一義的には異なる内容であることは理解します。しかし今の段階では、ある程度は自衛隊に任せておいてもよいのでなかったかと思います。自衛隊がイラクに派遣される際には、「派遣するかしないか」の議論に焦点が当たりすぎており、「イラクで何を支援するか」については、あまり議論されなかったように思います。ボランティア団体の方々から、イラク国民が本当に望んでいる活動を政府に教えてあげればよかったのではないでしょうか。


そもそも、ボランティア活動というのは、評価が非常に難しいものです。評価が難しい一番の理由は、ボランティアの方々が報酬を得ずに、無償でやっているからです。無償でやっている以上、外部からとやかく言われたくない、自分の思うようにやりたい、ボランティア活動をされている方の中にも、一部にはそういう考え方があるように思います。


話が脱線しますが、私がロンドンにいたときのお話をしたいと思います。その日私はロンドンの Piccadilly Circus ( 日本でいうと銀座のような繁華街です ) という町を歩いていました。道端から突然、現地のボランティア団体がいきなり私に擦り寄ってきて、次のように言ったのです。


「ロンドンのストリートチルドレン(路上生活をしている恵まれない子供たち)のために、募金をお願いしています !」


多くの人は忙しそうに通り過ぎていくなか、私はポケットに入っていた 1 ポンド硬貨を募金箱に入れることにしました。


「ご苦労様。はい、どうぞ !」


すると、ボランティアの中の数名が、もっと大きいお金、つまり札を入れてくれと要求してきました。


「あなたはリッチな日本人のくせに。ストリートチルドレンがかわいそうに思わないの ?」


にゃ、にゃにぃーーー、そりゃねーだろ、おい !( そもそもそれほどリッチでもないのですが ) 私は少し困惑して、次のように言いました。


「よーし、わかった。じゃ、この 10 ポンド札を募金しよう。でも、日本にも恵まれない子供たちがたくさんいるんですよ。だから、私が募金する一方で、今度はあなたたちが日本の子供たちのために募金してくれないかな ? たとえ、1 ポンドでもかまわない。日本に帰ったら、そういう団体に必ず渡しておくから ……」


そのボランティアは、「この人何言ってんの ? 気持ち悪い ……」という目で私を見て、一目散に走り去っていきました。よく見ると、同じような手口で、日本人観光客が高額の募金を要求されていました ( 要は、日本人観光客がカモにされていたわけです )。


この話は少し極端な例でして、今回のケースの引き合いに出すには不適当かも知れません。しかし、私はボランティアの本質は、「困っている人を助ける」という普遍性のあるものだと思っています。助けたいという意志のある人が、困っている人を分け隔てなく助ける、これこそボランティア活動のはずです。


現在、イラクにはたくさんの困っている人がいます。全世界的に、イラクに注目が集まっていますから、なおさらそのように感じる部分もあります。しかし、地球規模で見れば、困っている人はあらゆる地域にいます。日本国内にだって、困っている人はたくさんいます。


そのように考えると、なぜこの時期にイラクでなければならないのか、少し疑問に思います。今は違う地域の困っている人を助け、情勢が落ちついてからイラクの人を助けるわけにはいかないのかな、と少し考えてしまいます。つまり、今脚光を浴びているイラクの人々を救うことだけに興味が集中していて、回りの状況がよく見えていないような印象を受けるのです。


日本は戦後、個人の自由を尊重してきました。個人の主義主張、言論の自由は、憲法においてこれを保護されているわけで、その意味では、基本的には何をやってもとやかく言われる筋合いはないのだと思います。


しかし一方では、自由主義国家の国民として守るべき最低限のことは存在します。アメリカは日本以上に自由な国家のように思われがちですが、それも一定のルールを守った上でのことです。そのルールを守れない人については、アメリカ国家は責任を持てない = 自己責任で行動する必要がある、ということが国民全体のコンセンサスとして確立されているのです。


ビジネス社会においても、これと同じことが言えます。これまでの日本人は、何か困ったことが起こっても、最終的には会社が何とかしてくれる、政府 ( 当局 ) が保護してくれる、という期待をもって仕事をしてきました。高度成長期からバブル期までの規制時代には、このような考え方でも十分にやっていけました。しかし時代は変わったのです。リスクについては会社や国家が面倒を見てくれて、リターンだけを享受できるという、「いいトコ取り」の時代は終わったのです。より多くのリスクをとり、それを自分自身でコントロールできる人が、より多くのリターンを得るという、自由主義社会では至極当たり前の状況が、日本にもやっと到来したというわけです。


私は以前、このコラムにおいて、グローバル社会における「自己責任」の重要性について書きました。( No.106 「『自由』 の中の 『責任』」参照のこと )


その中で、当時私の上司であったアメリカ人が、次のように述べています。


「タカシ、確かにわれわれは 『自由』 なんだ。勤務時間もフレックスだし、成果物さえ出していれば、どこで仕事をしたってかまわない。だけど、『自由』 の中にだって 『責任』 は存在する。自由であればあるほど、その責任は大きくなる。それがなくなったら、単に無秩序な集団と同じじゃないか……」


われわれ日本人は、今回のイラク人質事件を通じて、自由主義社会における日本人のあり方を再認識すべきなのだと思います。要は、会社・国家、ひいてはアメリカという傘の下に存在した「中途半端な自由主義」ではなく、自己責任を有した「自立する自由主義」への転換が求められているということです。


このような視点で考えると、やはり人質になった方々への非難が第一になってしまうマスコミやわれわれ個人にも大きな問題があるように思います。また、これを材料とすることで、政府としても自衛隊派遣の目的を見直し、国民を指導していくリーダーシップが求められるのだと思います。


「オレはそんな危ないトコになんかいかないから問題ないさ ……」 と考えてはいけません。日本やその近隣国が、いつ戦禍に巻き込まれるかわからないのです。実際に、何の罪のない人が、北朝鮮に拉致されているわけですから、これは対岸の火事ではありません。


もっと身近な例で考えることもできます。あなたの会社のライバル企業は、もはや日系企業ではなく、自己責任で行動するスタッフを有した「外資系企業」なのです。私はこの事件を機に、日本人自らが自己責任で行動することの重要性を考え直すきっかけになってほしいと、切に願っています。加えて、イラク国民のみなさんが安心して暮らせるよう、イラク復興の早期実現についても、あわせて祈念したいと思います。

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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