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タカシの外資系物語

華やかなり ( ?! ) トレーダーの世界 ( その 1 )2002.08.02

最近、外資系金融機関で花形トレーダーだった方々のエッセイ ( というか武勇伝 ) が出版され、話題になっています。実は私も、今の会社に転職する前は、某大手銀行でデリバティブのトレーダーをやっていました。その銀行から派遣される形で、外資系証券会社でも半年間働きました。しかし私がそこで経験したのは、「花形」ならぬ「トホホ」な世界だったのです。


このコラムの 113 話でもお話した通り、私は「銀行内フリーエージェント制」でトレーディング部門に異動してきました。そもそもトレーディングの世界というのは非常に閉鎖的でして、「ヨソ者」に冷たい傾向があります。この部分は、外資系企業全般に通じるところがあります。日々、「勝った ! 負けた ! 」の世界で過ごし、自分の評価は時価に換算した損益だけ。新しく来たヨソ者に優しくしても何も得しません。まさに「欧米型狩猟民族」の発想です。


私が配属されたのは、マーケット第 3 グループというところで、スワップやオプションなどのデリバティブを扱っています。デリバティブというのは、「金融派生商品」と訳され、高度な金融工学を使って取引されます。まぁ簡単に言うと、人間の頭ではできないような計算を機械にやらせて儲けようというものです ( 詳しくはみなさん自身で調べてみてください )。


私 ( ちなみに 8 年前 ) 「システム部から来ましたタカシです。まだ不慣れですのでご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします ! 」


「面倒かけられちゃこまるなぁ~~」どこからともなく、そんな声が聞こえてきそうな雰囲気でした。だれ一人として笑顔で返してくれる人がいなかったのです。全員が、為替や金利のレートが映し出されるモニターから目を離そうとしません。


「タカシ …… くんだっけ ? 日中は邪魔しないように、その辺で本でも読んどいて。 3 時過ぎたら話できるから」 O 課長はモニターを見つめたまま、私に指示しました。悲しいかな、当時の私は本当に 3 時過ぎまでボーッと本を読んで過ごすしかなかったのです。なぜならトレーディングの「ト」の字も知らない素人には、手伝えることが何もなかったのです。


そう言えば、私が今の会社に入った当日にも、同じような経験をしました。


私 ( ちなみに 5 年前 ) 「○X 銀行から転職してきました、タカシです。みなさん、よろしく ……」


「はいはい、じゃこれやって …… 」 


私の最初の上司である S マネージャーは、クライアントから預かったフロッピー・ディスクを私に渡しました。そこには複雑な計算式が入ったエクセルシートが入っていました。しかし 8 年前と違うのは、私はそのシートを見た瞬間に、何をすればいいのか、私がどのような作業を要求されているのか理解できたのです。


「この計算式が正しいかどうか、システムの要件定義書を見てチェックすればいいんだな ……」


8 年前は同じ銀行内の異動だったのに全く何もわからず、一方、 5 年前は会社が違うのにやるべきことがわかっている。このことからも、日系企業 ( 特に銀行 ) が何でも屋のゼネラリスト育成を重視し、外資系企業が即戦力を必要としているかがよくわかると思います。


話を戻しましょう。午後 3 時になり、東京の株式・債券のマーケットがクローズすると、トレーダー達にも人間らしい表情が戻ってきます。


O 課長 「タカシさぁ …… じゃ、ちょっと話しようか。まずね、お前何ができる ?」


私 「は ?」


O 課長 「は ? じゃなくて、何か俺たちに貢献できるか、って聞いてんだよ。ハッキリ言うけど、けっこう足手まといなんだよね、『フリーエージェント』の諸君って。大学出たばかりの新人なら雑巾がけでもさせとくんだけど、 5 年目のお前には、そういうわけにもいかないからな ……」


実は O 課長の指摘は正しかったのです。当時の『フリーエージェント制度』の謳い文句は、「 5 年目までに経験した業務を活かし、異動先での即戦力を目指す」というのものでした。しかしそれは無理な話。特にトレーディングの世界は、それなりの経験が必要です。経験だけでなく、「運」や「性格」も重要です。いくら頭が良くても、運のない人は成功しません ( 実は、「運のみ」という人もけっこういるのですが )。また、性格が優しく引っ込み思案な人にも向きません。 1 回の失敗で落ち込んでしまうような人も不向きです。私の知人などは、トレーダーとして配属されたものの、トレーディングルームの独特の雰囲気になじめず、 1 週間で髪の毛のほとんどが白髪になってしまった人がいます。


私 「あの、一応システム部にいましたんで、システム関連なら一通りできますが …… 」


O 課長 「ほー、そりゃいいね。何と言ってもトレーディングはシステムが命だからね」


ということで、私は「マーケット第 3 グループ・システム班 ( 私が勝手につけた名前 ) 」として業務を開始することになりました。みんなの PC を修理したり、簡単なソフトウェアを作ったり。そう言えば、私が作った「デリバティブ取引管理帳簿システム」は好評でした。取引毎に自動採番して、関連取引とのリンクを引っ張るだけの簡単な仕組みなのですが、それまではすべて手管理でやっていたので大変だったのです。「芸は身を助ける」とは、まさにこのことです。おかげで私の半年後評価は、かなり高いものとなりました。


そんなある日、人事部に呼ばれました。『フリーエージェントの半年後評価』です。つまり、人事部が、フリーエージェントした社員に対して、思うような成果を上げているか確認するのです。


人事部担当者 「タカシさんの評価は、と …… ふーーーん、わりと高い評価だね」


私は内心、「思い知ったか ! 」とふんぞり返っていました。異動前はだれもが「タカシ大丈夫 ? あそこは大変だよ、無理すんなよ」と言っていましたから。


人事担当者 「でもちょっと問題なんだよなぁ ……」


私 「へ ?」


人事担当者 「いや、あなたのやったことって、トレーディングじゃなくて、システム部の仕事なんだよね。これじゃ前と同じだよね …… せっかくフリーエージェントしたのに、何してたの ?」


…… そ、その通りでございます …… トホホ ……


さて、その後の私は、いかにしてトレーダーとして生きていくのでしょうか ……

 

( 次回続く )

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

「タカシの外資系物語」の作者、奈良タカシさんへメッセージをお寄せください。

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