
| 女性とキャリア Woman & Workインタビュー |
| Vol.5 秋山さん |
| 今回は、ダイジョブの大先輩を取材した。ダイジョブサイトの創生期に関わられた秋山さんは、現在、代表取締役として新進の教育・採用メディアソリューション & デジタルコンテンツ制作会社を経営されている。「私とは関係ないスーパー Woman ね。」と思う前に、本文を読んでいただきたい。秋山さんは、決して特別な方ではない。大学卒業後、大手日本企業へ勤務、ワーキング・ホリデーを活用した海外留学経験を経て帰国、外資系企業への勤務、と、同様の経歴をお持ちの読者も多いに違いない。秋山さんに違うところがあるとしたら、キャリアを自ら開拓する気概を少し多くお持ちだという点であろう。これはちょっとした“違い”ではあるが、大きな“差”を生む。同時に、誰もが参考にできる“違い”でもある。 |
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「外資への転職でつかんだ、キャリアの自己開拓スピリット」 アクトアドベント Inc. ( ActAdvent Inc. ) 代表取締役 CEO 秋山さゆみさん |
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大学卒業後、明治生命相互会社(現明治安田生命)に勤務した後、オーストラリアへ 2 年間留学。帰国後、旅行業界を経て、 1998 年に株式会社リンクメディアに入社、ダイジョブサイトの創設に関わり、オンラインマーケティングをはじめとするウェブプロデュース業務に従事する。その後、インターネット業界に進み、アジアコンテントドットコム株式会社で、 Web プロデューサーとしてサイト構築プロジェクトに携わる。
2001 年より、香港最大手テレコム会社の日本法人 PCCW Japan ( パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン ) 株式会社にて、事業開発マネージャーなどを務め、 2002 年同社より営業譲渡を受け、アクトアドベント Inc.を設立。代表取締役 CEO。 (同社HP http://www.actadvent.co.jp/) |
| 留学顛末記 社会人生活 3 年を経て実現した、高校時代のリベンジ留学 |
| ―ダイジョブ「今日は、ダイジョブサイト生みの親のお一人に取材をさせていただき、光栄です。ダイジョブ出身の方がご活躍されていると知り、読者の方もそうだと思いますが、我々編集部も大変励みになります。読者は、秋山さんがどのような経歴を経てベンチャー企業の代表になられたか、大変興味を持つと思いますので、ご経歴を時系列でお伺いします。まず、留学についてお聞かせいただけますか ? 」 |
| 留学は、小学校 6 年生ぐらいの時からの夢でした。子供の頃から、 “これからは国際的な時代だ” と、漠然と感じていました。また、私が通った埼玉の公立高校がオーストラリアの都市と行なっている交換留学制度にも刺激されました。私も応募して留学したかったのですが、家族の反対で断念。大人になってから実現することにし、ようやく 8 年後に実現させました。 |
| ―ダイジョブ「秋山さんの場合は、明治生命で3年間社会人としてお勤めされてから留学していますね。明治生命時代はいかがでした ? 」 |
| 法人の個人向け保険商品の営業をしていました。当時、会社が新卒女子を採用し、商品知識だけでなく、税務をはじめとする幅広い金融知識を持ったプロフェッショナル・コンサルタントとして育成するプロジェクトを実施しており、私たち女性の同期 65 人が 5 チームに編成されて、様々な研修機会を与えてもらいました。先輩の女性も自立した優秀な方が多く、同期との関係も良かったので、有意義な社会人生活でした。生命保険会社は、自分の意識とタイムマネジメント次第では、女性の働き先として良い職場だと思います。 |
| ―ダイジョブ「オーストラリア留学のため、会社を退職された訳ですが、どのようなタイプの留学をされたのですか ? 」 |
| 1 年目はワーキング・ホリデーを利用、 2 年目は現地の専門学校で “Travel & Tourism” を学び、計 2 年間留学しました。 |
| ―ダイジョブ「オーストラリアに行かれた時は、滞在先や仕事先など決まっていたのですか ? 」 |
| いいえ、 3 ヶ月間アジアのバックパック旅行をした末に辿り付いたオーストラリアですから、何も決まっていませんでした。ワーキングホリデー・ビザだけ持ってオーストラリアに上陸し、そこから住まいと職探しです。仕事は、 “飛び込み営業” で見つけました(笑)。片っ端から店に飛び込んでは、下手な英語で懸命に売込みをし、結果的にお土産物屋さんで雇ってもらいました。 |
| ―ダイジョブ「大学で英文科を専攻された以外、留学以前に英語環境で過ごされてきた訳ではないのに、現地の方と直接交渉ですか。すごく大胆ですね。渡航してから数ヶ月は自分の英語が全く通じず、周りとのコミュニケーションに大変苦労した、と留学された皆さんおっしゃるのですが、秋山さんの場合は、そんな事はなかったのですか ? 」 |
| 事前のアジア・バックパック旅行で、コミュニケーション度胸だけは身についていましたから。 “英語力” と言ったって、日常のコミュニケーションツールですから、通じることが重要なのです。それには、積極性が不可欠です。何せ、バックパッカーなので、意思表明が出来なければ生命の危機を招くこともある訳です(笑)。
今考えるとかなり大胆だな、と改めて驚く部分もありますね。当時の心境としては、自宅暮らしで親の保護と干渉の下、不自由とはいえ自分中心で甘えが通用していた環境から、敢えて甘えのきかない場所に自らを置くことによって脱却したい、という危機感があったのかもしれません。 |
| ―ダイジョブ「留学 2 年目は学校に行かれたのですね。どうしてでしょう ? 」 |
| 帰国後の “職” の事を考えたからです。せっかく、海外に留学しているのだから、履歴書に書けるものを何か得て帰国したかったのです。具体的には、旅行学の知識のみでなく TOEIC スコア 800 以上、ビジネスコミュニケーション、 PC スキルの習得を目標として、敢えて入学・卒業基準の厳しい、留学生向けでないスクールに通いました。 |
| ―ダイジョブ「海外留学される方の中には、帰国後を考えない方もいらっしゃいます。留学が終わり帰国してから、 “さぁ、どうしよう” と考え始めるのですが、 “留学=転職で有利” ではないので、帰国後の職探しに大変苦労される方もいます。秋山さんの場合は、 “Travel & Tourism” を専攻されて、帰国後すぐに就職できました ? 」 |
| はい。英語力を認められ、旅行代理店に就職し、現地旅行代理店との旅券やホテル手配などの調整業務を行いました。やはり、留学前に、目指すもの=目標をきちんと決めることが必要ですよね。途中で軌道修正するのは良いと思いますが、最初から目的も無く留学するのは、もったいないことです。私は、帰国後に再就職し、ビジネスプロフェッショナルとしてのキャリアを再構築することを前提として留学しました。 |
| 外資系への転職 ダイジョブの創設に関わり、ネットビジネスへ大きく方向転換 |
| ―ダイジョブ「その後、ダイジョブサイトを創設した「株式会社リンクメディア」のメディア事業部に転職されたのですね。動機は ? ( 編集部:ダイジョブサイト事業は、 1998 年にリンクメディア社が立ち上げ、 2000 年に株式会社として分離した事業が母体となっています。現在は、リンクメディア社との資本関係はありません。) 」 |
| 幼少の頃からの “世界と繋がっていたい” という漠然とした願いが、留学という形でまず実現し、次のステップとして旅行業界で働くという形で広がって行くと考えていたのですが、実際に旅行業界で働いてみると “自分が漠然と描いていた世界観” とのずれが見えてきたんです。また当時は、「留学→再就職→ビジネスプロフェッショナルとしてのキャリアの再構築」までは視野に入れていましたが、その後の 10 年間、またそれ以降のライフビジョンやキャリアビジョンが明確になっていなかったので、その軌道修正の方向を模索している時期でもありました。
そんな中で、知人から紹介を受けたのがリンクメディア社でした。「外資系」の環境で働くという選択肢が目の前に現れ、ここなら今までの自分にない何かを吸収できるかもしれない、何かをつかめるかもしれないと直感的に感じました。応募後に CEO のテリー氏から直接電話があり、「君は、ガッツがあるか ? 」と聞かれたので、「ある」とここでも積極的に自分を売り込んで (笑)採用されました。 |
| ―ダイジョブ「やはり、リンクメディア社での経験がターニングポイントですか ? 」 |
| そうですね。まず、その後ネット関連へ進むきっかけとなった事。また、キャリアは自ら作り出すものであると知った事。この2つが後の私のキャリア・パスを大きく変えました。 |
| ―ダイジョブ「『何が、それほどの転機を生んだか』という キャリア構築に関するテーマは、後でまとめてお伺いする予定なので、ここでは追求せず (笑)、先に進ませていただきます。リンクメディア社以降、ネット業界にシフトされたのでしたね?」 | |
| リンクメディア社では、ダイジョブサイトのリニューアルに関わり仕様策定やデータベースのコンバートなどを担当し、Webシステムの知識や多国籍チームでのコミュニケーションのあり方を学びました。ひとつのプロジェクトを遂行、達成する過程で、さまざまな言語や国籍、文化的背景を持つSEやプログラマなどと組み、感動をみんなで共有する機会に何度も恵まれましたが、その感動を極めたい、とその方面に進むことを決意しました。 実は、その時の転職活動で、日本の戦略系コンサルティング会社からのオファーも受けたのですが、第三者的な立場からのコンサルティング業務よりも、事業をする人の立場に立って、戦略立案から具体化するまで全過程に関われるビジネスプロデュースに魅力を感じ、外資系のネット事業会社「アジアコンテントドットコム株式会社」を選び、Webプロデューサーとして採用されました。「人と関わりながら何かを生み出す事」を経験したかったのです。また、自分の経験を生かせる “外資系” 企業であったという点も、選択の理由です。 そこで、 J-Yado.com サイトのプロデュース、マーケティングなどを担当しました。 |
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| ―ダイジョブ「日本でインターネットが一気に普及したドット・コム時代ですね。実は、株式会社ダイジョブ(現:ヒューマンリソシア株式会社)も以前の社名は「株式会社 ダイジョブ・ドットコム」で、ドット・コム企業の一つでした。その頃は日本でも、インフラ面やハード、ソフト面など様々なネットニーズが高まり、多くの外資系企業が参入してきましたよね。」 |
| スピンアウト 仲間と提案した事業の譲渡を受け、会社の経営者に |
| ―ダイジョブ「次に移られたのが、今の会社を起こす元になる「 PCCW Japan ( パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン株式会社)ですね。 PCCW Japan の日本進出は、ブロードバンド幕開け時代の Big ニュースでした。」 |
| PCCW Japan には「インターネット放送局を運営し、 TV 並みのコンテンツの配信事業を行い、新しいビジネスモデルを構築する」という構想がありました。その構想のもと東京・飯倉にブロードバンドの配信環境を整備したバーチャル・スタジオを設立、そこから、ネットゲームなどのインターネット・コンテンツを配信する計画を持っていました。私は、ブロードバンド・プロダクション・ディビジョンの事業開発マネージャー兼シニア・プロジェクト・マネージャーとして事業部の立ち上げと、新規事業のプラニングを行いました。
同社は香港資本の会社の日本法人なので、非常にトップの裁量が大きい会社でした。新規事業プランは、会議で検討するのではなく、 CEO を始めとするボードメンバーが事業化の許可を与えていましたので、私はボードメンバーに対して直接、損益計算書などの予想財務諸表も含めたビジネスプランをプレゼンテーションしなければなりませんでした。大変でしたが、この時の経験は、会社経営に際して大変役に立っています。 “新規事業プラン” を通して、経営計画立案のシミュレーションをしていたのですね。 |
| ―ダイジョブ「 PCCW Japan での業務内容を元に、スピンアウトして今の会社を起こされたとお聞きしていますが、実際、どのようないきさつだったのでしょうか ? 」 |
| 当時のボードメンバーの間では、日本のインターネット環境の整備が思うようなスピードでは拡大していなかったこともあり、ブロードバンドチャンネルを運営する事業自体が、日本のマーケットにおいては時期尚早なのではないか、という意見が主流となりつつありました。その中で私達は、短期的な収益を確保するために、ボードメンバーに対し「コンテンツ受託」の事業モデルを提案しました。そのアイデアが実現し、今の会社の前身となったわけです。
残念ながら、香港の本社が日本からのブロードバンドビジネスの撤退を決定し、「それならば」という事で、営業譲渡を受け、 PCCW Japan の仲間とアクトアドベント Inc.を設立しました。おかげさまで創業から 4 期目になりますが、売り上げ規模も 3 期目で 1 億円を超え、現在は 11 人体制と着実に成長を続けています。 |
| 外資系のキャリア構築 自らキャリア目標を示して、相手を動かす『ブレイクダウン式』スタイル。 |
| ―ダイジョブ「さて、いよいよ、読者が最も知りたいであろう、『キャリア構築』について、深くお伺いしようと思います。お話によると、リンクメディア社での勤務が、秋山さんの大きな転機になっているようですね。実際、どんな要因がキャリアの転機を生み出したのでしょうか ? 」 | |
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リンクメディア社で『外国人的アプローチ』を身に付けた事が大きかったと思います。 それまでは、プロジェクトに対して、「日々の積み重ね」により結果が生まれる、という、悪く捉えると “行き当たりばったり的” な発想で働いていましたが、「目標(仮説)を設定してブレイクダウン」する方法を学んだのです。「まず、目標(仮説)を設定して到達までのプロセスをブレイクダウンし、それを途中で見直し軌道修正しながら、また新たな目標(仮説)を作り、再度ブレイクダウン」する考え方です。この方法を知ることにより、自分の中にさまざまな選択肢が増えました。 |
コミュニケーション・スタイルにおいては、
また、このブレイクダウン式の考え方をキャリア構築にも活かすようにしました。 例えば、リンクメディア社では、私は営業からプロデューサー業への転身を計画していましたので、まず、自分の就きたいポジションを自分から上司に提示しました。しかし希望を述べるだけではただの身勝手な主張と受け取られてしまいます。私の場合は、当時はそのポジション自体がなかったため、それを作る必要性や、会社にとってのメリット、また、自分が異動した後にそのポジションを引き継ぐ人材の育成プランを用意して、上司を説得しました。 この時「自らキャリアを拓く」スタイルを体得したことが、 PCCW Japan 時代の新規事業企画への従事、牽いては、現在のアクトアドベント Inc. 設立へと繋がっていると思います。 |
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| ―ダイジョブ「外資系だから全て同じとは言えませんが、外資系企業では、秋山さんの取られたような積極的なアプローチが受け入れられやすい、という話は良く聞きます。外資系に勤務されている、または勤務したいと考えている方には、大変参考になるお話だと思います。」 | |
| ビジョン・挫折 ビジョンあればこそ、困難が成長を生む。 |
| ―ダイジョブ「他に、何かアドバイスをいただけますか ? 」 |
| ご自分の将来、 10 年間ぐらいのビジョンを持つべきだと思います。他の人と比較して不安になったり、ブレたりしない、ご自身の価値観に裏付けされたビジョンが重要です。私自身も今後のビジョンやキャリアのあり方を明確化するのに 10 年かかりました。ビジョンが大きいほど、困難も大きいものですが、しっかりしたビジョンを持ち自己責任による判断で行動すれば、周りの環境も動くものですし、充実感も得られます。困難は成長のきっかけになると信じ、自分自身と向き合う勇気を持てれば、困難も乗り越えられるものだと感じています。
また、仕事はあくまでも自分の生活を Happy にする手段の一つだと思うので、目先の昇進など、形式的なことにとらわれず、本質的な自分の価値観に嘘をつかない生き方を探すことが、自分らしいキャリアを見つける道につながるのではないかと思います。 |
| ―ダイジョブ「この先のビジョンが大切だと言うことですね。ところで、秋山さんは、今後のビジョンとしてどんな目標をお持ちなのでしょうか ? 」 |
| アクトアドベントInc. を創業し経営をしている中で、ライフワークとして、人材の教育・育成に生涯関わっていきたいという気持ちが強くなりました。今までの日本の知識詰め込み型教育ではない、新しい教育のあり方を模索し、日本が、物質的のみならず精神的に豊かな社会になっていくために尽力できたら、という願いを持っています。
私はバックパッカー体験によって、アジアの人たちの生きるバイタリティやエネルギーを目の当たりにし、大変刺激を受けました。また、留学体験や異文化混成チームでのクリエイティブな作業を通じて、さまざまな視点や考え方を学び成長することができました。学び成長する喜びを、企業活動を通じて次の世代の人たちと分かち合い、伝える事で、精神的な豊かさを共に創りだすことができれば、と考えています。今、この考えを事業計画の中に積極的に反映し、具現化しているところです。 |
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