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タカシの外資系物語

外資転職バッシング ( その 1 )2005.09.06

シャラポワ選手の場合

先日、女子テニスの最新世界ランキングが発表され、 18 歳のマリア・シャラポワ選手がリンゼイ・ダベンポート選手を抜き、初めて 1 位となりました。これは史上 5 番目の若さで、ロシア選手としては初めての快挙です ( その翌週にはダベンポート選手が 1 位に返り咲いて、結局は一週間の天下だったのですが ・・・ )。


シャラポワ選手はシベリア生まれで、 9 歳の時に父親とフロリダ州に渡り、テニス学校で腕を磨いたとのこと。その恵まれた容姿から受ける華やかなイメージの裏側には、非常に貧しい下積み時代があったわけです。試合中に見せる闘志むき出しのハングリー精神も、幼少時の苦しい時代があったからなのでしょう。苦労の甲斐あって、今では世界で最も稼ぐ女性スポーツ選手として、スポンサー料と広告出演料は 2500 万ドル ( 約 27 億 4000 万円 ) に上ると言われています。


若くして富と名声を得たシャラポワ選手ですが、他のロシア女子選手からは、激しいバッシングを受けているようです。例えば、国別対抗のフェドカップ参加メンバーについて、ロシアのある選手は、「今年のフェドカップのチームの雰囲気は最高。みんなお互いに助け合っているしね。でも ( シャラポワが入ってきたら ) 将来も同じように高い士気を持てるかはわからないわ。」と言っています。また、違う選手も「ロシアで最も人気のある選手は誰 ? 」と質問されて、「もちろんシャラポワでしょ。でも彼女をロシア人と呼べるのかわかんないけど。」と、皮肉たっぷりに答えています。


これらの言動は、他の選手がシャラポワの急成長と高額のスポンサー契約に嫉妬していることから来ているのだと思われます。しかし、本当にそれだけなのでしょうか ?

K 主任の場合

私が日系銀行のマーケット部門に勤めていた頃、こんなことがありました。当時私が所属していた部署は、 O 課長と K 主任、そして私の 3 人でした。 K 主任は海外留学の経験もあり、私を含む若手からは憧れの存在でした。 K 主任自身も飾らない性格で、私は日々、手取り足取りの指導を受けていました。 O 課長も、そんな K 主任に全幅の信頼を置いて、大きな仕事を与えていました。


そんなある日、 K 主任から次のような爆弾発言があったのです。


「オレ、ここ辞めて、外資に行くことに決めたから ・・・ ここじゃ、やりたいことができないし ・・・ 」


にゃ、にゃんですとーーー ! 当時の私にとっては、「外資系への転職」そのものが自分とは別世界のことを言っているような気がしていました。 K 主任の転職を寂しく思う反面、外資系に転職できる K 主任が非常に羨ましくもありました。「オレなんて、留学もしてないし、外資系なんて一生行けないだろうなぁ ・・・ 」


K 主任が銀行を去って 2 ~ 3 ヶ月がたったある日、 K 主任から私に電話がありました。


「おっ、タカシか ! 元気にやってるか ? ちょっと、 O 課長と代わってくれない ? 」


私は O 課長に受話器を手渡し、仕事をしているふりをして、話を盗み聞きしていました。


「 ・・・ で、要は私どもと取引がしたいということですね。一度ゆっくりお話をお伺いしたいので、お時間いただけますかね ・・・ 」


O 課長の口調は、まるで初対面の人と話をしているかのように、他人行儀でした。それ以上に、顔が少し引きつっているように見えました。


数日後、外資の投資銀行に転職した K 主任 ( というか、 K さんと言うべきでしょうか ・・・ )が、 O 課長に会いにやってきました。


K さん 「いやぁ、 O 課長、お久しぶりです。タカシも元気にやってるか ? 」


O 課長 「 K さん、申し訳ないんですが、ビジネスの話に入りましょう。タカシ、お前も話に入ってくれよ ・・・ 」

悪魔の提案

K さんと O 課長、そして私の 3 人は、来客用の応接室で話をすることになりました。


「 ・・・ つまり、私どもの銀行にドルの資金を担保付で貸してくださるということですね ・・・ しかしまぁ、よくこんなスキーム ( 取引の仕組み ) を考えついたもんだ ・・・ ふぅ ・・・ 」


O 課長はため息をひとつついて、少し考え込んでしました。当時私が所属した銀行は、信用不安から格付が大きく下がっていました。格付が低いということは、お金を借りるときに、より高い金利を取られることを意味します。実は銀行というのは、他の銀行とお金の貸し借りをして資金の融通 ( 資金繰りという ) をつけています。特に、ドルなどの外貨資金は、欧米の外資系銀行からの借金にかなり依存していました。しかし私がいた銀行は、格付の低下に伴い、どんなに高い金利を払っても貸してくれる外資系銀行がなくなりかけていたのです。


K さんが提案したスキームというのは、 K さんの銀行 ( 米系外資 ) が、私の銀行にドル資金を貸し出してくれる代わりに、その半額の米国債を担保に差し出すというものでした。つまり、一万ドルの資金を借りるのに、五千ドルの米国債を差し入れた上に、さらに利息まで払わされるという、まさに悪魔のような提案だったのです。


詳細は省きますが、そんなことをしてまでも、ドルの資金が欲しかったのは確かなのです。「資金繰り」というのはそういうもんでして、とにかく資金がなくなった瞬間に銀行は破綻してしまいます。当時は綱渡り状態で日々の資金繰りを行っていましたから、Kさんの提案は、スキームはどうであれ、渡りに船だったことは事実なのです。

塩まいとけ !

「じゃ、うちのディーラーから連絡が行くと思いますので。うちとしては、○○億ドルぐらいまでならお貸しできると思いますから、いつでも言ってください。では、失礼 ! 」


K さんは用件が済むやいなや、さっさと帰って行きました。


私 「 ・・・ それにしても、あんまりですよね。うちの弱みに付け込んで、あんな不利な条件持ってこなくてもいいのに ・・・ 」


O 課長 「ま、そういうもんだよ、外資なんて ・・・ 」


私 「で、でも ・・・ つい最近まで一緒に働いてた上司や後輩に向かって、よくあんなことが言えると思いませんか ! なんだか、腹が立って仕方ないんですけど ・・・ 」


O 課長 「タカシ ・・・ コンビニ行って、塩買ってきて ・・・ 」


私 「へ ? 」


O 課長 「K が歩いたとこに、塩まいといてくれよ ! 」

外資転職バッシングとは ?

シャラポワ選手とKさんのケースに共通している点は、「国外 ( 外資 ) に出て強くなった仲間を受け入れることができない国内 ( 日系 ) 組」という構図です。シャラポワ選手にしても、 K さんにしても、自分のやるべきことをやっているにすぎないのですが、それが何だか妙に癪にさわるのです。銀行に残った O 課長や私にとっては、 K さんがまるで悪魔に身を売り渡したかのように思われ、何だか裏切られたような気になって仕方がないのです。


仮に、シャラポワ選手がロシア国内でトレーニングを受け、今のように強くなっていたら ・・・ または、 K さんが日系の銀行に転職していたら ・・・ シャラポワ選手が 1 位になり、 K さんが同じスキームを提案してきても、こんなに目の敵にはされなかったのではないかと思います。なぜなら、これこそ日系から外資に転職した人が受ける「外資転職バッシング」に他ならないからなのです。


かく言う私も、外資転職バッシングを受けたことがあります。その詳細は、次回お話したいと思います。

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この記事の筆者

奈良タカシ

1968年7月 奈良県生まれ。

大学卒業後、某大手銀行に入行したものの、「愛想が悪く、顔がこわい」という理由から、お客様と接する仕事に就かせてもらえず、銀行システム部門のエンジニアとして社会人生活スタート。その後、マーケット部門に異動。金利デリバティブのトレーダーとして、外資系銀行への出向も経験。銀行の海外撤退に伴い退職し、外資系コンサルティング会社に入社。10年前に同業のライバル企業に転職し、現在に至る ( 外資系2社目 )。肩書きは、パートナー(役員クラス)。 昨年、うつ病にて半年の休職に至るも、奇跡の復活を遂げる。

みなさん、こんにちは ! 奈良タカシです。あさ出版より『外資流 ! 「タカシの外資系物語」』という本が出版されています。
出版のお話をいただいた当初は、ダイジョブのコラムを編集して掲載すればいいんだろう ・・・ などと安易に考えていたのですが、編集のご担当がそりゃもう厳しい方でして、「半分以上は書き下ろしじゃ ! 」なんて条件が出されたものですから、ヒィヒィ泣きながら(T-T)執筆していました。
結果的には、半分が書き下ろし、すでにコラムとして発表している残りの分についても、発表後にいただいた意見や質問を踏まえ、大幅に加筆・修正しています。 ま、そんな苦労 ( ? ) の甲斐あって、外資系企業に対する自分の考え方を体系化できたと満足しています。

書店にてお手にとっていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
奈良タカシ

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