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上海サバイバル通信

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# 63  私の年譜 ~新規学校設立 !


上海への再赴任が決まり、「怒涛の 3 ヶ月」で立ち上げた職場 。
(# 61 「私の年譜 ~上海上陸 ! 」参照 ) へ約 3 ヶ月ぶりに出勤しました。
みんなは相も変わらず … と笑顔で再会を喜びたかったのですが、現実はそうではありませんでした。


私が復帰して数週間後 ( 12 月の初め )、社内に不穏な空気が流れ始め、どうやら私が携わっていた事業は、打ち切りになるという事が判りました。


そして、年が明けると私には“新規学校設立”の仕事が割り当てられたのでした。
当初4人いた日本からの出向者も、私ともう一人だけになり、片や新規立ち上げに、片や既存事業のクローズにと、てんやわんやの日々が始まりました。


私は職場にいた優秀な中国人スタッフを、新しく設立する学校に連れて行きたいと考えました。彼女は学生にも人気があり教師としての資質も、人としての魅力もある人でした。何より、仕事をきちんと一生懸命し、いつも勉強を惜しまなかったのです。「私と一緒に新しい学校へ行きましょう ! 」と誘い、彼女も同意をしてくれました。


ちょうどその頃、私は会社の借り上げマンションを出て、自腹で小さな部屋を借り ( 同時に日本の賃貸アパートを解約し )、本格的に上海に根を下ろす気持ちと基盤が確立したのでした。


新規学校設立で最も時間を要したのは、職員の就業規則と入学希望者の基準設定でした。前者は毎夜遅くまでミーティングを重ねるも最終的には「中国と日本は違います ! 」の一言で振り出しに戻り、また「うちは日系企業です ! 」と主張しては振り出しに戻りの日々でした。本社から出向の総経理 ( 気合十分 ! 働き盛りの 30 代半ば:上海校運営事務所社長 ) と、校長 ( 日本での技術者歴 10 年、日本語ペラペラの日本人より日本人らしい中国人:当学校責任者 ) との板挟み。何度声を荒げた言い合いになったことか …。


毎夜のミーティングで、中国人は声が大きくて畳み掛けるように話す。そして「反対はするが対策がない ( 言わない ? )」と、しみじみ知ったのでした。しかし、新しい学校を良い学校にしたいという気持ちは誰もが同じでした。


そうこうして、学校がオープン ! 最初の生徒はたったの 10 人でした。
授業、営業、事務処理、ミーティング …。私の求めていた充実した日々が戻ってきたのです。


【おまけ : 中国人とのミーティングを上手にまとめるには ! 】


1. その都度文字にしていく。
一度まとまった事を「やっぱり … 」などと、後からひっくり返されないように、今話すべき事をホワイトボードに書き、話がそれない様に軌道修正をし、結論が出たら、すぐさまホワイトボードに書き足す !「振り返ることをさせない ! 」
( ほとんど意味がないことが多いから。中国の人は本当に話好きだし、だらだらといつまでも終わらない。)


2. 大きい声での討論になった時は「お茶でもどうですか ? 」と休憩タイムにしましょう。( 中国は喫煙者が多いので、ただイライラしてきただけの人もいる ! ) いずれにせよ、一緒にヒートアップしてはいけません。( すごいことを言ってくるので、確かに腹が立つのですが )


今では私も上手になったものです。聞こえないふりができるほどに。
いちいち涙していた日々もありましたが、心臓に毛が生えるのも割りと早かったようです。( 笑 )


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執筆者 神田あさか

福岡県出身。大学卒業後、バブル経済後の不景気な日本で広告代理店の営業として働いていたが、「あと少し早く生まれていれば!!」と思い余り「バブルを感じてやる!?」の一心で上海へ。現在上海の日系 IT 企業にて勤務。日夜、上海の活気ある街や人間に刺激され「私も一旗上げてやろう !」と上海ドリームを描いている最中

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