
2003 年 8 月、親に内緒で渡った上海任務 ( SARS で大騒ぎだったので、絶対反対されると思った為 ) を終え、日本での通常業務に戻った私は、綺麗なお水 ( 最近はいくらかマシですが、当時の上海の水道水は紅茶色だった )、美味しい空気、気の置けない友人たち、油の浮いてない料理に囲まれて、3 ヶ月ぶりに心からくつろぎ、安心し「日本での毎日はこんなに素晴らしかったのか! 」と再確認したかと言えば …
… そうでもありませんでした。むしろ、帰国後の私は生きる屍、魂が抜けたようでした。
日本での生活が全て物足りなく感じていたのです。
毎日を必死で生きた 3 ヶ月。5 感 ( 第 6 感までも ? ) をフル活動させ中国人スタッフとコミュニケーション、身の危険と隣り合わせの食生活 ( お腹は毎日下しっぱなし )、会社が最も力を入れていた中国進出だっただけに、本社のお偉いさんから直に指示を受けピリピリした中で働き、毎夜のように会長と中国のお偉いさんと、ビジネスの関係作りにカラオケ三昧 …。こんな生活で心身ともに疲れ果てていたはずなのに、私の毎日はそれまでに無く「充実」していたのです。
日本でのきちんと整備された業務内容、分をわきまえた人間関係、安心安全な毎日を物足りないと感じた私は若かったのか元気だったのか、すっかり魔都上海に魅せられてしまっていたようです。「私と入れ違いに上海駐在になったスタッフ達は上手く仕事をしているだろうか ? 」「 中国のお偉いさんや会長に粗相をしていないだろうか ? 」と、そればかり気になっていました。おかげで自分の仕事が手につかない始末 …。
確かに中国は「適当バンザイ! 」「大まかでいいかげん」といった事が多く、イライラさせられることばかりでしたが、良く言えば「人間らしく」て「大らか」でした。上海で出会った人達の、何とバラエティーに富んで素晴らしかったこと ! 過ぎてしまえば嫌だったことも、号泣したことも、何もかもが良い思い出 ! ( 笑 )
気が付くと私は、「次の中国出向、大連へ行く人~ ? 」という主任の呼びかけに張り切って手を挙げていました。わくわくドキドキの大連出張を 1 週間後に控えていた私に、本社から常務がやって来て言いました。「神田くん、やっぱり上海行こうか !? 」
それは私の前職である「営業職」の経験が買われてのことでした。「何事も経験だ ! 辛いこともあったけど ( 前職 4 年間 ) 営業やっててよかった! 」と意気揚々、再上陸切符 ( ビザ ) を手にしたのでした。
上海上陸後、日本でおざなりにして来た仕事のことで ( 何しろ魂が抜けていたので、あれやこれやとミスが多かった … ) 主任からこっぴどく怒られたり、上海で送別会をしてくれた仲間達に「お金を返せ ! 」だの「出戻り ! 」などと言われ、やたらとビールの一気をさせられたりしても、その時の私は、再び上海で働けるようになったことが嬉しいばかりでした。
やる気も十分で「上海の数字を背負って仕事をしよう ! 」「もっといい社内環境を目指そう」と最初の赴任よりずっとグレードアップした目標を心に掲げていました。更には、「サイドビジネスなんかもできないかな ? 」と上海ドリームを思い描き、一旗挙げることにも息巻いていたのです。
「友達も居る、仕事仲間も居る、コネもできつつある。後は飛躍だ !!!」
と、そんな感じの 2003 年 11 月 ( 再上陸 ) でした。
その後の怒涛の日々は次回に続く。
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執筆者 神田あさか
福岡県出身。大学卒業後、バブル経済後の不景気な日本で広告代理店の営業として働いていたが、「あと少し早く生まれていれば!!」と思い余り「バブルを感じてやる!?」の一心で上海へ。現在上海の日系 IT 企業にて勤務。日夜、上海の活気ある街や人間に刺激され「私も一旗上げてやろう !」と上海ドリームを描いている最中 |
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