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上海サバイバル通信

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# 61  私の年譜 ~上海上陸!


先日友人のブログに、「自分の年譜を作ってみました。」と書いてあるのを見て、私も上海に来てからの年譜を作ってみようと思い立ちました。上海上陸から早 5 年半が経ち、日本へ帰国する友人を何人も見送り、気が付けば古株の仲間入りを果たしていました。色々な事があったはずなのに、目まぐるしい毎日に驚きも感動も忘却の彼方へ …。2003 年の上海と現在の上海の違いも、こうして改めて考えてみないと分らないものです。


私の年譜を紹介することで、個人差はあるでしょうが、上海 ( 中国 ) 生活にどの位の速度で慣れ、仕事をスムーズに遂行できるようになるかの基準にしてもらえると嬉しいです。


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2003 年 4 月 現在の会社に入社 ( 当時中国は SARS で大騒ぎ ! )
2003 年 5 月 社内の誰もが嫌がった上海赴任に立候補 ! 見事に上海行きを GET!
          SARS ウィルス吹き荒れる中、乗客 7 名 ( うち 3 名が当社スタッフ ) の飛行機で上海へ。
          話せる中国語は、「ニーハオ」「シェイシェイ」の 2 語のみ。


<上海最初の衝撃>

上海浦東国際空港へ到着。入国前の荷物検査にて、「CD を大量に持ち込んでいるな ? スーツケースを開けろ ! 」と先輩がスーツケースを開けられて中身をかき混ぜられました。( 大量の CD は私のスーツケースにあったのですが ( 笑 )) 私はそそくさとその場を立ち去り、少し離れたところで笑いをかみ殺していました。「普通そこ間違えないよ ! これが噂の何でも “適当 ! 適当 !” か …。」


<出向先の事務所へ到着>

私の SARS 撃退完全防備 ( 眼鏡と粉塵マスク ) に、「上海では誰もそんなことはしていませんよ ! 心配ないですよ。」と、スタッフ一同大笑い ! 上海は町中トイレ洗剤の臭いが漂っていました。SARS 撲滅の為に定期的な消毒が義務付けられていたのです。毎日鼻をつまんで外を歩いていました。目にも沁みてたなぁ …。


<上海第二の衝撃>

この先 3 ヶ月寝泊りするサービスアパートメントの玄関で、看板を補修する為に作業員がサイズを測っていました。2 階を見上げながら下からメジャーを伸ばして …。「それじゃ、正確に測れないだろ !!」と驚く私に中国生活経験のある先輩が一言、「言ったでしょ ? 適当バンザイの国なんだって !」


<上海最初の謎 … 気になるトイレの話>

今思えば定期的な消毒のおかげで、共同トイレは覚悟していたよりずっと綺麗でした。上海の事務所ではさすがに “ドアの無いトイレ” はありませんでしたが、鍵をかけず ( 時には開けたまま ) 用を足す人は多かったです。ドアを開けてビックリ、おばちゃんが「ニーハオ ! 」なんて事がよくありました ( 笑 )。


あと、女子トイレなのに便座が上がった状態にしてあるのが不思議でした。 ( 何度もお尻から落っこちそうになった ! ) そしてそこには何故か足跡がついている …。


これは一つの習慣で、次に使う人の為に ( 次の人を男性と想定して ) 便座を上げておくのだと聞かされました。女性上位の風潮で有名な上海で、意外にも男性を尊重する習慣が !? 足跡の方は、便座が綺麗か信頼出来ないので、便座を上げ、そこに立ってかがんで用を足すのだと …。ちょっと待って ! 私はちゃんと座ってしてたんですが … ( 涙 )


<仕事と生活>

1 ヶ月あまり休みなし、1 日中朝から夜まで授業をし、一息つける時間はトータルでも僅か 30 分未満。その間に昼食、夕食、雑用を済ませていました。スタッフとは言葉が通じないので、漢字の意味だけを頼りに筆記でのコミュニケーション、辞書を片手に片言の英語で苦笑いの毎日。当然、意思疎通が上手くいかずトラブル続出。加えて、私の服や所持品、食事などから「日本人だけ待遇がいい」と嫉妬され、意味の分らない意地悪はされるし、新入社員の教育は行き届かないし、毎夜接待はあるし …、体力も気力も限界 ! と、泣けてきたのはちょうど 2 ヶ月経った頃でした …。当時中国人に人気が出始めた日本人歌手の歌をデパートの靴売り場で聴き、日本を想い号泣 ( 笑 )。「心の支えが必要だ」と実感しました。


それからは自分の時間を何とか捻出し、友達を作るべく、日本人の経営するレストランやバーに出かけるようにしました。そのうちに、たちまち友達が 100人に !! ( #21『上海の友達 ( 友達 100 人できるかな ? )』参照 )


生活に関するちょっとした情報や、新しく開店したレストランの事、仕事の悩み等を気軽に話せる友達も出来、やっと心の安定を得たのでした。


心の安定を保っていると、不思議と仕事もスムーズに進みました。結局私は、初めての異国勤務で自分の身 ( 業務 ) を守る ( 遂行する ) ことに精一杯で、周りへの気遣いが足りなかったのでした。それに気付いてからは、スタッフに根気よく用件を伝える努力をし、確認の上の確認。大切なことは文章で伝え、了解のサインをもらうのが一番 ! ( 「言った、言わない」で何度も泣かされたので …。) いつも笑顔で、そして挨拶。きっとどこの国でも同じなのです。必死で仕事をする私に、中国人スタッフも協力の姿勢を示してくれるようになりました。この時のスタッフはみんな辞めていったけれど ( 笑 ) 今でもいい友達です。


中国語も当時の校長の「一日 3 語、1 文を覚えよう ! 勉強会」のおかげで基本的な挨拶、タクシーでの道案内、スーパーやデパート、市場での買い物などが出来るようになり、行動範囲と自炊のレパートリーが広がりました。何よりあちこち案内してくれる友人が出来た事が良かった !


ここまでがリニアモーターカー ( 時速 430 キロで私たちを上海浦東国際空港へ運んでくれます ) 並の 3 ヶ月です。


2003 年 8 月 任期終了
         日本からの新しいスタッフとトレード


帰国前日には盛大な送別会もして頂いて、そんな友人関係を作れたこと、次のスタッフに渡せる職場の基盤を作ったことに大満足の帰国でした。そう、帰国までは良かったのです。続きは次回に !


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執筆者 神田あさか

福岡県出身。大学卒業後、バブル経済後の不景気な日本で広告代理店の営業として働いていたが、「あと少し早く生まれていれば!!」と思い余り「バブルを感じてやる!?」の一心で上海へ。現在上海の日系 IT 企業にて勤務。日夜、上海の活気ある街や人間に刺激され「私も一旗上げてやろう !」と上海ドリームを描いている最中

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