
日本政府が国の直轄学校に外国人留学生を受け入れる入学規定を制定したのは100年ぐらい前になります。1901年に明治政府の文部省が初めて 4 ヵ国 58 名の留学生を受け入れました。その後1906年には、当時の清国は日本に約 7,000 名の留学生を派遣したようです。1954年には日本政府は「国費外国人留学生招致制度」を創設し、さらに 1983 年 8 月に「留学生受入 10 万人計画」を発表しました。その目標は 2003 年に達成できたようです。さらに政府の政策会議である教育再生会議は、去る 4 月 18 日に開かれた教育再生分科会において、国策として 2025 年までに留学生を 100 万人受入れる目標を掲げるよう、提案しています。
桜美林大学の留学生を見てもわかるように、アジアからの留学生、特に中国や韓国から来ている学生は少なくありません。中国人留学生に限って言えば、実は同じ中国から来た学生であっても、その時期によって、学生自身の状況は少しずつ変わっているようです。
1978 年末から、中国政府は「改革・開放」政策を実施しはじめ、今日まで 約30 年経過しました。政策実施の当時から1990 年代初め頃までは、中国人留学生と言えば、ほとんどは政府のプロジェクトで来る人達でした。この頃の留学生は、今では 40 代か 50 代になっていますが、大体の人は日本か中国で活躍しているようです。中国国内においては、この時代の日本への留学生は、エリート、というイメージがあります。実際に、彼らはかなり激しい競争に勝って、政府プログラムで留学する学生ですから、同世代の人と比べると、学力がかなり高かったと思われます。ところが、1990 年代半ば頃から状況は徐々に変わり、。特に 2000 年以降、中国の大学生の募集規模が拡大されてから、留学生の学力や留学市場は変化してきました。。これには主に二つの理由があるかと思われます。
まず一つ目は、“一人っ子政策”。“一人っ子政策”は「改革・開放」政策とほぼ同時期に実施されはじめ、 2000 年に入ると、大学生の大半が“一人っ子”の環境で育てられてきた学生になりました。家族の中で「小皇帝」だった彼らは両親と祖父・祖母の期待に応えて、日本へ留学する道を歩み始めました。彼らにとっての留学は、学力が問われる厳しい競争というよりも、留学資金が十分にあるかどうかが重要になっているようです。
また、中国の経済発展と家庭収入の増加にも関係があるかと思います。たとえば、1990 年代初め頃の日本の1 万円は中国の大学新卒者の月給の 10 何倍の金額でしたが、今では同じ 1 万円でも大学新卒者の初任給の何分の一にすぎません。ですから、日本へ留学しても両親も本人も、金銭面においてそんな負担にはなりません。
とはいえ、このような理由から、留学生の質が落ちたとは言えません。一人っ子ですから、ご両親はできるだけ良い教育を彼らに提供しています。小さい時から熱心に教育され、勉強だけではなく、ピアノ、水泳、絵画、スポーツなど、多彩な課外学習等も学び、全人教育を受けてきた学生が多いようです。まさに※リベラルアーツ (教養教育) が提唱している教育理念に一致する部分が多いかと思われます。そのため、彼らの日本での留学終了後には、エリート世代の先輩留学生より更なる活躍を期待できるかと思います。こういった意味で、教育再生会議が、今後、中国の留学生をも視野に入れ、国策として 2025 年までに留学生の総人数を 100 万人に設定の提言をすることは、とても先見の明がある考えだと思います。これからも彼ら留学生の大活躍を期待することが出来るかと思います。
編集部注釈: 筆者は現在桜美林大学リベラルアーツ学群にて講師をされております。
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執筆者 李尚波
桜美林大学 リベラルアーツ学群 講師 1989 年 7 月 北京外国語大学日本語学部卒業。 1997 年 3 月東京外国語大学地域文化研究科博士前期課程修了。 2004 年 4 月東京外国語大学博士(学術)学位取得 現在は桜美林大学 LA 学群で社会学、教育社会学、高等教育と社会参加、ジェンダー論、日本歴史文化論をテーマに研究を続け、講師として活躍中。 『女子大学生の就職意識と行動』 (2006年御茶ノ水書房)、 「女子大学生の就職行動における変化の全体像」(単、『国際教育』No.10(2004年10月)日本国際教育学会)、 「日本女大学畢業生持続就業的未来走向探析」(単、世界知識出版社『日本学研究』2004年7月北京日本学研究センター)、 「日本私学発展的現状及其特徴」(共、山西教育出版社『日本私立学校』1996年) |
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